「ダイバーシティを知ることで、ハッピーになってくれたら」と願う阿部のり子さんに、想いを形にする生き方を訊きました

ダイバーシティこおりやま(任意団体)代表 阿部のり子さん

(取材・まとめ)みついみさ子

阿部のり子さんは、誰もが自分らしく生きることができるよう多様性を認めあう社会を目指して、「ダイバーシティこおりやま」を2017年1月に立ち上げました。
https://diversity-koriyama.jimdo.com/
現在は、メンバー&サポーター合わせて28名の団体となり、3カ月に1度開催している「ダイバーシティナイトin郡山」では、毎回、テーマを決めて講師を招き、30~50名の参加者とともにダイバーシティについて学んでいます。2018年1月には、ダイバーシティ講演会とレインボーフェスタを福島県で初開催しました。

人がそれぞれの幸せを願い、互いに尊重しあえば、社会に起こる様々な問題が解決しやすくなるのではないか。私もそう思う一人です。
自分では気が付かなかった視点や、無意識に感じていた思い込みなどについて考える機会を与えてくれるイベント「ダイバーシティナイトin郡山」に私も何度か参加させていただくようになりました。
いつも温かい言葉で丁寧に参加者に語り掛ける阿部のり子さん。参加者も難しいテーマについて、ワークショップで考え、自分の言葉で意見を話し合う場を作り出してくれています。
どんなきっかけで、ダイバーシティこおりやまを立ち上げたのか、また仕事に向き合ってきたのか、今回、じっくりお話をお聞きする機会を得ることができました。

阿部のり子さん 
ダイバーシティこおりやま(任意団体)代表。
地方公務員・こおりやま女性ネットワーク*hanaの会理事。
1969年郡山市生まれ。夫・長女と3人家族。安積女子高等学校(現在の安積黎明高校)を卒業後、国際法や国際関係論に興味を持ち、新潟大学法学部に入学。在学中に、ラオス支援のための学生NGOでボランティア活動を経験。大学卒業後は、新潟県内の企業に就職し、イベントの企画・運営に従事。母の入院を契機に生まれ故郷の郡山に戻り、1995年4月、郡山市に入庁。
入庁後5年目から郡山市医療介護病院の開院を6年間にわたり担当し、その後、様々な部署で活躍しながら、人権への思いを強くし、次世代の働く女性への支援ができる部署への異動を希望。マイノリティ(少数派)の人権問題、女性の支援などに関心を持つ。

「普通」は「普通を決める」構成比率で変わる

――私(みついみさこ)は「ダイバーシティナイトin郡山」、3回目の二瓶由美子さん(福島銀行社外取締役、元桜の聖母短期大学教授)が講師をされた『女性学のススメ~51%のマイノリティ』から参加させていただくようになりました。前回(2018年5月22日)の福島県立医大の藤野美都子教授の『“平等”の国フランスに学ぶ~パリテ 女性の政治参画~』のお話も良くて。先進国の中では女性の社会進出が遅れていたフランスで「パリテ法(候補者男女同数法)」が導入され、政治に参画する女性の比率が高くなったというお話でしたね。
 「これが普通だ」と思う感覚や価値観は、その場を構成する人の割合で変わってくる のだということが腑に落ちました。女性が活躍しにくい日本で価値観を変えるには、これはもう法律で決めていかなければならない時代なのでしょうね。

阿部のり子さん(以下、のり子さん) 今、ダイバーシティの活動で常に感じているのは、今私たちが感じている「当たり前」は、世界の当たり前じゃないということです。
たとえば、この度、民法が改正され、男女の婚姻年齢が18歳に統一されましたが、それまでは男性18歳、女性16歳とされていました。これを当たり前に思っていた方が多いと思いますが、実は女子差別撤廃委員会から、女性から高等教育の機会を奪う男女不平等な制度であるとして日本が勧告を受けていたものなのです。このように視点を世界に向けてみると、違って見えることが他にもたくさんあるのです。
今日も企業研修でお話をしてきたのですが、世界の幸福度調査のうち、国連が発表している統計的な要素を考慮したランキングでは日本は51位。2017年度調査では、北欧が上位を占めていて、主要先進国のほとんどは20位ぐらいまでに入っています。中国は79位、韓国は55位で、日本は客観的に見るとそれほど幸福の国ではないのですね。
その原因は政治の腐敗や、経済の格差とかの問題がきちんと処理されずに、放置されているからではないかといわれていますが、日本という国は、悪いところに目を向けない傾向があるのではないでしょうか。
森友学園や加計学園の問題も「モリカケ問題」と話題にはしているけど、実際はきちんと質すべきだと思っている人が多くはないとか、国の幹部職員がセクハラを繰り返していたとか、権力者のために公文書を改ざんする……そんな風になってしまってこの国はいいのか?!……そういうことを本気で考え、発言できる人が少ないのは、「どうせ何を言っても変わらない」・・といった諦めかもしれませんが、日本ならではの弱点だと思います。

――前回のダイバーシティナイトの冒頭で、のり子さんは男女格差の例として「プチ起業」という言葉についてお話しされていましたよね。確かに、女性が何かを始めたいと考えるときにプチ起業ならスタートしやすい。私はけっこう、現実的な選択として考えていました。でも、それで経済的に自立するとか、家を支えるとかというのは別なんですよね。

のり子さん プチ起業」は、「あなたは稼がなくていいよ」と言っているようなもの。[/su_highlight]その根底には「夫(男性)が稼ぐ」という考え方があるので、ある意味男女差別の最たるものかなと思っています。だからそれを女性活躍の一つとしてもてはやすのは、考え物なのかもしれません。プチ起業して十分な収入が得られない女性よりは、しっかり会社員として働いている女性のほうが自立はしているでしょう。しかしながら、プチ起業を社会貢献という視点で考えるのであれば、それ自体が経済的に自立できるものでなくてもいいのかもしれませんね。

 

自分でも予想していなかった地方公務員という選択。

――のり子さんは、地方公務員なのですよね。公務員になることは、はじめから決めていたことなのですか。

のり子さん 私は新潟の大学を卒業した後、民間企業に就職しました。当時まだバブルの終わりがけで、社会がまだまだ元気な頃だったこともあり、地元の小さなイベントや出版をやっている企業に就職しました。大手企業だと歯車の一つになってしまいそうで嫌で、なんでも自分でやってみたいという思いから、内定をもらった会社の中で一番小さい会社でしたが一番面白そうだった企業を選びました。大手の製造会社や銀行からも内定をもらっていたので、親には大反対されましたが、最後は私の選択を認めてくれました。
タレントさんといく海外旅行や成人式の日のライヴ、ディナーショーなどのイベントの企画や運営をする仕事で、とても刺激的でやりがいのあるものでした。

――意外でした。人生設計の中で公務員という選択をされた方だと勝手に思っていました。

のり子さん 公務員になろうと思ったことは一度もなかったんです。黒い腕カバーをつけて仕事をしている地味なイメージがあって(笑)。
新潟の民間企業で働いている時にバブル経済に陰りが見えてきて、会社の業績がみるみるうちに落ちてきているのがわかりました。それでも少ない人数で売上をあげるために頑張っていたのですが、過労で倒れてしまったんです。
若かったので、睡眠時間2、3時間で仕事を続けていたんですよ。ある日突然、イベントの最中に倒れて、ドラマのように目が覚めたら点滴を打たれていました。

その頃、たまたま私の母も心臓の発作で入院していて、一人娘だったので看病のために新潟と郡山を往復していたのですが、母の病気は数カ月で完治するというようなものではないとわかったので、会社を辞めて、郡山に戻ることにしました。人生設計の中では、予定外の退職です。
たまたまクライアントだった企業が郡山に進出したばかりで、そこの社長さんから「郡山に戻るならうちで働かないか」と声をかけていただいたのですが、しばらくのんびりしたいと思って、塾の講師をしながら、母の体調が落ち着いてからは、旅行したり、家で油絵を描いたりしていたんです。
そうした頃、母から「このままではいけないから、市役所の採用試験を受けなさい」と言われたのが、地方公務員になるきっかけです。

――最初の企業では濃密に働いて、いろいろな方との信頼関係を築いていたのですね。

のり子さん すごく充実していて、様々な経験をさせていただきました。レイ・チャールズの最後の来日公演で、新潟でのクリスマスイブの興行権を獲得し、コンサート&ディナーショウを大成功させました。それが自分の中での成功体験で、いい思い出です。

――そこから公務員になったのは、お母様のたっての願いで。

のり子さん 実は、郡山に戻って最初の春にエジプト旅行に行く予定で手配していたのですが、バブルが弾けて、郡山でやりたい仕事もなかなか見つからないこともあり、母の勧めるとおり、旅行をキャンセルして4月から臨時職員で働きながら7月まで勉強して市の職員試験を受けてみることにしたのです。それで受けたらたまたま受かりました。面接では志望動機を聞かれて、「これまで利益追求の仕事をしてきたので、そうでない仕事をしてみたい」と良くわからない答えをしてしまい、今思うと恥ずかしいのですが、公務員への夢や希望を持っていたわけではなかったんですよね。

――最初に配属された部署はどちらだったのですか。

のり子さん 新卒採用での配属先は、市民税課という税金を課税する部署でした。一番驚いたのは、なんでも法律に基づいて行われているということでした。
でも、新規採用1年目の冬に結婚して、2年目の冬には出産していたので、何も深く考えないうちに3年間過ぎていきました。4年目に、保健所総務課という部署に異動しました。医療機関の許認可の担当業務です。患者側は病院に不満があっても言えないことが多いので、病院の医療水準を確保し、必要があれば改善指導する部署で、小さな子どもの子育て中だったということもあって、すごくやりがいを感じていましたね。
当時、郡山市亀田にあった国立病院が廃止されることになり、病院の許認可等に関する経験をかわれ、その跡地に新しい病院を作る事業を担当として任されました。郡山の地域にはどんな医療が必要なのか等、6年間にわたって、医師会の先生方とひざ詰めで話し合い、病院を作り上げる業務を担当しました。

私のターニングポイント

――次々とやりがいのある業務に関わることができたのですね。

のり子さん これといった興味がないまま市役所に入りましたが、市役所の仕事は、政策を考えて実現することができ、やってみるとこんなにやりがいがあり、面白いのだと実感しました。平成18(2006)年に無事、病院も開院し、次の異動の時期となりました。それまで全般的に必要な法務を学んだので、今度は財務についてもきちんと学びたいと思い、法務と財務と会計をいっぺんに学べる監査という部署に異動の希望を出しました。監査では、いろいろな市の事務を見るなかで、問題点を洗い出してそれを改善するためのルール改正の助言や指導をしました。監査は、市役所にとって健康診断や治療をするドクターのような存在で、ここでも貴重な経験をしました。
私のターニングポイントは、総務法務課にいたときのことでした。東日本大震災後に震災を受けての原発関連の裁判があり、訴訟事務担当として関わっていたのですが、原告の意見陳述などを聞いているとどうしても原告側に気持ちが寄り添う自分がいたのです。

また、守秘義務があり詳しくは話せないのですが、多様な方の存在やその苦悩を知る機会もありました。そこで、もっと私は人に寄り添ったり、人権に関する仕事がしたいなと思うようになり、その後、男女共同参画課に異動することができました。
そこで法務省主催の人権啓発指導者養成講座を受講し人権問題について学ぶことができ、その幅広さを知りました。その研修では、実際にセクシャルマイノリティー当事者の方が講師とともに登壇され、心無い差別を受けたり、様々な思いを口に出せなくて困っているという現状を知ることができたのです。

――それが、ダイバーシティこおりやまをつくるきっかけになったんですか。

のり子さん 本当は仕事でできればよかったのですけれど、新しいことはなかなか大きな組織ではできないので、自分で活動を始めてみようと思ったのです。
まず、前川直哉さん(一般社団法人ふくしま学びのネットワーク理事・事務局長/東京大学大学院経済学研究科 特任研究員)が共同代表をしている、福島のダイバーシティナイトに勉強に行ってみました。
ああ、こういうやり方があるんだ、郡山でもみんなと考えられたらいいなと思ったんです。
そこで、前川さんに「私、これを郡山でもやりたいです」と言ったら、「ぜひ、やってください」と二つ返事。私はダイバーシティ福島さんが郡山で出前してくれればいいかなくらいに思っていたのですけど、「のり子さんご自身が個人でやるか、自分で団体を立ち上げるかどっちかにしてください。お手伝いはしますから」と言われました。

 

上野千鶴子さんに背中を押されて

――現在まで7回行われていますが、定期的に開催しようと思って始めたのですか?

のり子さん はじめは続けようということではなく、とにかくこういう場を郡山でやってみたいと思って開催しました。阿部のり子個人でやっても、皆さんからは、なんだかわからないと思われるので、「ダイバーシティこおりやま」という団体を立ち上げることにしました。
まず、2017年1月に前川さんを講師に一度開催したのですが、新規の勉強会は10人集まったら成功と言われていたのですが、40人くらいの方に来ていただくことができました。

その多くは友人だったのですが、告知を見て参加してくださった方もいらっしゃって、福島市に負けないほど大いに盛り上がりました。まとめのトークの時に前川さんが「皆さんこういう場って、またあったほうがいいですよね?」とおっしゃって、会場の皆さんも、ワーッと拍手をしてくださったので勢いがついてしまった感じです(笑)。「みんなこう言っていますし、私も協力しますからやってください」って言われて。それから今の活動につながっています。

――継続する計画ではなくて、とにかく、1回だけやってみようと思ったのですね。

のり子さん 私、意外と思いつきで行動を起こすほうなのです。しっかり長期計画を持ってやるというよりは、まずは、アンテナが動くほうに向けてやってみて、うまくいかなければ途中で修正したり、やめたりすればいいと思っているのです。もちろん、1回の開催で、声を出せずにいる人にメッセージが届き、何か変わったらいいなあと思っていたのですが。とはいえ、ずっと続けていくというような覚悟を持っていたわけではありませんでした。

――現在、サポーターは12名になっていますね。

のり子さん はじめはたった一人で活動を始めたのですが、当日運営は一人では難しいと思い、学生時代の友人や関心のある知り合い等に声をかけて4人で第1回を開催しました。今はメンバーも15人ほどになり、かけがえのない仲間を得ました。
実は、団体を立ち上げる時に上野千鶴子先生(社会学者 認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長)にご相談しました。敬愛している方で、以前から著書を読んでおり、私が役員を務めている「こおりやま女性ネットワーク*hanaの会」で上野先生に講演していただいたのがきっかけで、電話やメールのやり取りができるようになっていました。
「私はこういう団体を立ち上げようかと思っているのですが、先生お力添えいただけますか?」とメールをしたら、「やっとその気になりましたね、待っていました。応援しますよ」とすぐに返事をいただけたのです。私としては勇気100倍、上野先生がサポーター第1号になってくださいました。
2,3年前まで本を読んでいて、憧れていた方が、自分の活動を応援してくださるというのは、何とも言えない不思議な感じです――。

――のり子さんが始めることになるために、タイミングがちゃんとあって――。

のり子さん タイミングと勢いというものが多分にあったと思うのですけど、一番初めに上野先生に相談して、「待っていましたよ」って、そんな返事が来ると思わなくて、パソコンを見ながらウルウルしてしまいました。講演会などでは先生はハッキリものをおっしゃるので、厳しいと思う方も多いと思いますが、本当に温かい心の大きな方なのです。

――ダイバーシティナイトin郡山では様々なゲストが来られますが、お知り合いなのですか?

のり子さん 基本的には個人的なつながりから、お願いしています。
私のコンプレックスのひとつでもあるのですが、背が高いので良くも悪くも私は目立つのですよ。大きな組織で働いていると目立ってしまうことで嫌な思いをするほうが多いのですけれど、一方で、一度お会いした方でも覚えててくださるので、「私はこういう活動をしていて、こういうことをやりたい」と話すと、皆さん「いいよ」って言ってくださって、今のところ断られたことがないのです。本当に周りの方に恵まれているのだと思います。
唯一、全く繋がりがない中でラブコールを送ったのが、世田谷区議員の上川あやさんですね。今では、当団体の趣旨に賛同してくださって、サポーターにも就任してくださいました。

 

ダイバーシティナイトIN郡山で自分の引き出しを増やしてほしい

――私たちは政治の問題について、具体的に語らなくても同意してくれそうな人たちとは語りやすいかもしれないけど、違う意見を持っている人に対して話すのはものすごく苦手なのではないかと思います。

のり子さん 就職をするときに「政治と宗教の話はするな」と教えられましたけど、それが日本人の常識ですよね。でも欧米に行くと現政権の話題を普通に会話していますよね。

――日本ではそういった話題はマナー違反になってしまうと教えられていますからね。

のり子さん 海外では「日本人は自分の意見がない」とか「頭を使って考えていない」ととらえられてしまいます。高校1年生の夏休みにカナダのバンクーバーに1カ月半ほどホームステイをしたのですが、ホストファミリーに世界情勢や日本の政治について意見を求められ、何も答えられない自分がいました。言い訳がましく、日本ではそのような話をしないと伝えると、「日本人は、自分の存在を自分で消しているみたいだね、自分の意見や主張を持ってこそ個人でしょう」と言われ、衝撃を受けました。
日本人はディスカッションをしなれていない国民性で、意見が違う場合、相手の意見を否定しなくてもいいけど、同調する必要性もない。そういうトレーニングが少なかったのだと思います。

――違う意見を言った場合、相手の人格の否定をしているようにとらえられてしまう。そういったナイーブさがありますよね。例えば、日本を批判する意見に対して、自分が否定されているような反応をする人たちが、1980年代以前より増えている感じがします。

のり子さん そうですね。社会が不寛容になっているような気がしています。でも本当にそれでみんなが幸せになれるのでしょうか。以前、選挙で国のトップの方が、自分に対して反対意見を述べる人たちを「こんな人たち」と言っているのを報道で取り上げられましたが、象徴的だと思います。
自分の意見を発信することは、異なる意見を否定したり、排除することではないのにも関わらず、認められない社会になっており、戦前の日本を彷彿とさせる思いがしています。

 

「生きてていいと思えるようになった」という電話

のり子さん 先日、地方公務員向けの「ガバナンス」という月刊誌(2018年1月号)の執筆依頼をいただいて、そのときに私自身の公務員生活を振り返って気がついたのですけれど、まだ新規採用職員になって間もないころに、郡山市内で高齢の親子が餓死するという痛ましい事件がありました。お母さんが80歳ぐらいで、娘さんが50歳ぐらいだったのではないでしょうか。そのお二人がご遺体で発見されるまで、生活に困っているとは誰も知らなかったそうです。でも餓死してしまうほど生活が苦しいのに税金の滞納もなく、部屋にはお菓子の袋が一個だけあって、そのお菓子で飢えをしのいでいたのではないかと報道されていました。あの痛ましい事件は、本当に困っている方は、なかなか「困っている」とは言い出せないのだなと思った原体験でした。

この事件を思い出すと今でも涙が出てしまうのですが、市役所の職員というのは、本当はそういう人の力になってあげなくてはいけない仕事なのだと実感したのです。
福島第一原発事故による問題も、人によって放射線による感受性が違うから、具合が悪くなってしまったり、鼻血が出る方もいる。そういう方が参考人として裁判に出廷して話すのですが、それを仮病だとか、考えすぎだと言う方もいる。本人は具合が悪いのに嘘つき呼ばわりされるし、本当に辛いだろうなと思います。そういった方たちが批判されるのを見て、同じ思いをしている方たちは言い出せなくなってしまったり、自主避難することを家族からも非難されてしまう・・・そういった辛い思いを口に出せない人はどれくらいいるのだろう、と思いました。それは、セクシュアリティや障がい、国籍、宗教、様々な問題でも同じ構図だと思います。

ですから、そういう人たちがいる、いていいよね、と話す場をつくりたい。そいうことに焦点を当てる人間がここにいることで気づいてくれる方が増えたらいいなと思っています。
この活動は、ビジネスにはならないことです。もし、ビジネスになることだったら多分誰かがやってくれているはずですから。でも、お金にならないことだから、公務員としてお給料をいただいている私が自分のお小遣いでできる社会貢献ということで活動している意味があると思っています。

――その蒔いた種でそれなりの人数が集まるという場を作り出してから、周りが変わったことを感じることはありますか。

一番感じるのは、ダイバーシティこおりやまに当事者の方からメールをいただくようになったり、当団体の存在が誰かに勇気に繋がっていることです。
以前、男女共同参画課の部署にいたときに、セクシャルマイノリティー当時者の方から電話が入ったのですが、「ダイバーシティこおりやまという団体ができたことで、自分たちが生きてていいと思えるようになった」というお話を聞いたんです。「私、そこの団体の代表なんです」と心の中で叫んでいました!

――仕事中なので声に出しては言えなかったのですね。

のり子さん はい、当時、職場ではこの活動に理解を得られていなかったので、ずっと黙ってお話を聞いていました。webサイトやメールをご案内したのですが、その時、私たちの活動が少しでも力になったという方に出会えただけでも、新たな原動力となりました。あの頃は、「ダイバーシティという言葉は嫌い」とわざわざ私に言う方がいらして、私自身も辛い時期だったので、救われた思いがしました。
それから、活動を通して、「ダイバーシティ」という言葉の認知度が上がってきたということも大きいですね。新聞記事として取り上げていただいたりすると、読んでいてくださっていたり、声をかけてくれる方がいらしたり、社員研修やモーニングセミナーの講師としてお招きいただくなど、周りの反応が変わって来てくれているのは嬉しいなと思います。
活動の幅が広がっている背景としては、医師会長の土屋先生をはじめ、医療界や法曹界、教育関係者や経済界まで錚々たる皆さんにサポーターになっていたたことも大きいです。

――社会情勢もあってダイバーシティという多様性を認めあう考え方が広がってきたことが、企業も一緒に考えやすいのではないかと思いました。お互い尊重できる関係性に可能性を見出せるというか。

のり子さん 今は超少子高齢化社会になっていて、労働人口も減っていきますから、ダイバーシティを取り入れないと日本経済が成り立たなくなると言われています。OECDが2017年発表した日本の時間当たり労働生産性は先進7カ国中で最下位、アメリカの3分の2分以下なんですよ。今までは労働者数や勤勉性で勝負してきたのですが、労働人口が減少し、それができなくなってきている。もともと生産性が低い国ですから国力が低下の一途をたどっていると言えるでしょう。ですから、今の政権はそれを女性活躍などで補おうとしていますけど、日本の女性は昔から箱の中に詰め込まれて生きてきているので、急に箱から出て自由になれって言われても、できる世代とできない世代がいますよね。また、外国人労働者を雇用しようとしても日本にはなじみにくいですから、そこを解決するためにはまずバイアスをなくして、ダイバーシティの考え方に持っていかないと立ち行かなくなるという必然性が大きいのかなと思います。

ただ、地方にいるとそれを実感する機会がまだないかもしれません。でも5年後、10年後には地方も地域社会のなかだけでは成り立たなくなって、ダイバーシティが当たり前になると思っています。さらには、2020年の東京オリンピック、パラリンピックに向けてダイバーシティは重要なキーワードになっていくでしょう。

ハラスメントから自分を守るには

――ダイバーシティナイトin郡山では、昨年『挫折しないキャリアの築き方~ハラスメントとキャリア再起~』というテーマで被害当事者を講師に招いて取り上げていました。

のり子さん 私もハラスメントを経験した一人で、職場に申し立てをした経験があります。「死んだ犬を蹴るものなどいない」と言いますが、他者の成功を認められない方にはその中に不幸やコンプレックスのようなものがあるのだろうなと思っています。

――最近よく使われている言葉に「マウントを取る」という言葉があります。上下関係に敏感で、相手を自分の下に置かないとい落ち着かないという行動ですよね。そうしないと自分の存在が危ういと感じる何かを持っている。本人も自覚していないような、他人への間違った接し方に遭った場合、私たちは何ができるでしょうか。

のり子さん マウントを取りたがる人は自分に自信がないのだと思います。私が取った行動は仕事に関係ないので相手にしないことでした。今思うとそれが失敗だったかなと思います。相手にされないと悔しいからもっと嫌がらせはエスカレートする。何とかやっつけたい、苦しめたいと思わせてしまったわけです。
友人の弁護士に教えてもらったのですがセクハラ、パワハラに出会ったときには必ず不快感を示してください、ということでした。愛想笑いをするとエスカレートしてしまう。
それができないという方は、そういう悪意に出会ったときには、その場から緊急避難する。相手が不思議だなと思うようなタイミングでその場を立ち去る。そうすると相手は「この人は不快感だったんだ」と気づくはずです。そのことが次に相手がハラスメントとして申し立てたときに気づきましたよねと言える証拠づくりにもなります。
今思えば私もその場で気にしていないふりをするのではなくて、傷ついたとか嫌な思いをしたということを表せばよかったのだと思います。

――そういう場に遭遇した時に、不愉快だという感情表現をすると、それは大人のふるまいじゃないというように教えられているので、どうしていいのかわからなくなるんですよね。

のり子さん セクハラ事件はその典型で、そういうものをうまく受け流してこそ、大人の女なんて言われてしまいますよね。ですが、スペインに旅行した際、宿泊先のホテルで遭遇したのですが、お客さんがホテルマンを侮辱するようなことを言ったところ、ホテルマンがすごい形相で抗議していたのです。日本だったら「お客様は神様」と教えられているので「申し訳ございません、ご意見頂戴しました」と収めてしまいますが、海外ではそれは私に対する侮辱だときちんと主張する。

――あたかも、人格がないようにふるまうことがお客様のサービスだと取り違えているところが今までは多かったと思います。

のり子さん 今日講師を務めた企業研修でお話しさせていただいたのは、私たちは一人一人がハッピーに生きる権利があるのだということです。それを守られる権利もある。相手が私のハッピーを奪う権利がないように、私も相手のハッピーを奪う権利がないとお互いに知ること。それができないからハラスメントということが起こるのではないでしょうか。
私の私自身の辛い体験も客観化して制度への問題点として示すことで、誰かの役に立つことができるはずなので、無駄な経験ではなかったと思います。

――ちゃんとご自身で整理して言語化できていることは、無駄な経験ではなかったと思いますよね。いろいろな経験を持っていても封印している方がいる。それを伝えられる場として「ダイバーシティナイトin郡山」のような場所があることで、勇気を持てるのではないでしょうか。

のり子さん 日本人はマイナスの経験は表に出しちゃいけないのではないかという強迫観念が強いのではないかと思っています。でもそれも自分の構成要素じゃないですか。そこを隠そうとすると絶対ひずみが出てしまう。常にハッピー100%であるように演じたら辛いですよ。人間はいいところも悪いところもあって、でも総合点で80点だったら十分幸せではないでしょうか。
例えばFacebookもマイナスな投稿はすべきじゃないとか、「こういうことを言ったらみんなに嫌がられることがあるかもしれないけど」と断りながら投稿している人がいますけど、別に嫌な人は見なければいいわけですし、そんなに人の目ばかり気にして生きなくてもいいのではないかと思います。
同調圧力を軽減しつつ、マイナスな発言であっても批判されない社会の空気が必要で、一番今足りないのは他者や異なる意見への寛容度なのかなと思います。

 

1ミリでも高くなっていけば

――今後は「ダイバーシティこおりやま」ではどんな活動を予定されていますか

のり子さん 視野を世界に広げたいなと思っています。今は「ルワンダの教育を考える」を立ち上げたマリルイーズさんに来ていただいて、講演ができたらいいなと考えています。また、11月17日(土)には、ダイバーシティの視点から考える街づくりのワークショップの開催を予定しています。例えばとある自治体の予算の使い方を切り取ってみて、街づくりのための配分を考えるというのも面白いですよね。
できることを一個ずつ積み重ねて、ダイバーシティが合言葉になって、お互いを認めあえるようになり、息苦しさを感じている人が、自分を肯定できるきっかけづくりになったらいいなと思います。

――仕事では、今後携わってみたいと思うことはありますか。

のり子さん どうしても気持ちがマイノリティや弱者の方に行くのですけれども、現場の最前線だけだと決められたことしかできないので、やはり、困難を抱えている方々の支援をする仕組みづくりの政策に、もう一度、関わることができたらいいなと思っています。

――支援が必要だと感じている人の事情はそれぞれ違っていて、個人の問題だけでは解決できないことがありますよね。

のり子さん 今、とある相談を受ける部署にいるのですが、私自身、まだまだ勉強不足もあるのですが、本当に困っているのにどの制度も案内できない方もいらして、お役に立てずゴメンナサイとお詫びする場面があります。そうした部分は制度として何か見直しが必要なのではないかと思っています。今、こういう問題点があって、こういう必要性があるということを何かの場で伝えていきたいですね。自分ができることをとりあえずやっていくしかないのではないかと思います。大きなことを言っても何かウソっぽいじゃないですか(笑)

――思いはちゃんと形になってきていますよね。

のり子さん ありがとうございます。少しずつですが、形になりつつあると思います。先日、職場の同僚に「のり子さんは、いつも立ち向かっていきますよね。」と言われたのですが、本当は、怠け者の自分も立ち向かえない弱い自分もわかっているのです。そのうえでできるところだけ頑張っているのが現状なのですが、紙一枚の厚さでも積み重ねることで1ミリでも2ミリでも高くなっていくかもしれない、将来の大きな目標はないけれど、ただ、ダイバーシティで関わった人や私が接した人がちょっとだけハッピーになってくれたらいいなという思いです。

――私も今大きな目標があるわけではない。ただ、できるだけ多くの人に出会いたいと思っています。話をさせていただいたり、何かを言葉にして少しでも多くの方に伝えたりすることでしか、自分の存在理由がわからないので。

のり子さん 私は何をしなくても一人一人、その方の存在価値は大きいと思っていて、そのままで、ありのままでいいと、いつも思っています。実は、今回インタビューのお話をいただいてからブログを読ませていただいて、みついさんご自身が、悩みや葛藤をお持ちなのではないかと思ったのですよ。

――同世代の方にお話を伺って知恵を分けていただくというのが、このインタビューのテーマなんです。

のり子さん 葛藤があるということは、自分がこうあるべきという像がおありだからと思うのです。でも、「あるべき姿」像が真の正解とは限らないから、ギャップがある自分のままでもいいじゃないかなとも思うのです。
与えられた仕事でも十分楽しくできたり、それなりのやりがいを見いだせる。どんなときでもその時にできる事をやっていけば、自分の価値基準が見つかると思います。物事へのとらえ方ですよね。
人生いろいろありますが、嫌なことがあっても、「人間万事塞翁が馬」で何が良くて何が悪いのかは、本当に最後の最後まで分からない、私はそういう風にいつも思っています。
ですから、今、辛い思いをしている方がいたら、それが本当に不幸なのかどうかは分からない・・・そんな風に思っていただきたいなと思います。

――本当に今日はありがとうございました。今後の活躍も応援しています――。

夢を見つけた人は実現までの道のりで何を思い、何をすべきなのか。目標に向かって歩む千葉さんに情熱の源を訊いてみました

起業家・大学職員 千葉清美さんインタビュー

(取材・まとめ)みついみさ子

千葉清美さんとはじめてお会いしたのは、2018年3月。郡山市の安積歴史博物館で行われた「5分で事業を語る!ピッチイベント」でした。そこで千葉さんは、あだたら地域の生乳で作るソフトクリームの販売するプランを発表。

熱い想いと、事業を立ち上げてからの紆余曲折の物語、そして千葉さんの語る生乳ソフトクリームがあまりにもおいしそうで、もっとお話を聞いてみたい! とその場でインタビューをお願いしてしまいました。

快く引き受けてくれた千葉さんに、まずは、生乳ソフトクリーム販売を目指すまでのお話をうかがいました。

 

千葉清美(ちばきよみ)さん

1965年生まれ。神奈川県出身。2006年福島県大玉村に移住。フラワーアレンジメントの仕事をしながらカフェのオープンを目指す。現在、県立医科大学で講座医局秘書を務めながら、事業パートナーとともに生乳でソフトクリームの製造販売事業を立ち上げる準備に奔走する日々を送っている。

 

福島移住を機にフラワーアレンジの仕事へ

千葉清美さん 最初の就職先は印刷会社でした。版下を作る業務です。当時はコンピューター化されていなかったので、手書きで罫線を引いたり写真や写植を貼り付けていたんですよ。
次に産業機器メーカー転職し、一般事務を経て購買の仕事を担当、部品調達の仕事を7年やりました。

そのあと、会社でISO14001の認証を取得するために、事務局として環境マネジメントシステムの構築をしました。

――どのような事業の会社だったのですか。

千葉さん 産業用電源・電子計測器・電子部品の開発・製造・販売を知る会社です。急成長して、私が入社してすぐに上場しました。若い人がたくさんいて、楽しい会社でしたね。

―― 福島にはいつから住み始めたのですか。

2005年の2月です。主人が転職して福島に来ることになったので、私は少し遅れて引っ越して来ました。はじめは本宮市に住み、2006年の12月からは大玉村に家を建てて住んでいます。

―― 大きな転機になりましたね。

会社を辞めて、福島に来ましたから。それで、1年後に、フラワーアレンジの仕事を始めたんです。30歳の頃からヨーロピアンフラワーアレンジメントを習い始めて、8年でインストラクターライセンスを取りました。

友達の結婚式をお手伝いした時に、ああ結婚式に携わるって楽しいなあと思ったんですね。ずっと事務の仕事をしていたので、次に仕事をするときは、ウエディングフラワーの仕事をしたいなあと思いました。それで、郡山市にある結婚式場に電話したんです。「お花を作りたいんです」と言って。幸い面接してもらって、働くことになりました。

――直接式場に電話したんですか。積極的ですね。

千葉さん 自分は事務仕事が向いていないのがわかっていたんです。絵を描いたりデザインすることが好きで、高校卒業後デザイン学校に進学して印刷会社に入ったんですけれど、残業や徹夜の連続で……。

――印刷は制作物の最後の工程ですものね。

千葉さん そうなんです。原稿が出来上がってくるのが遅くなると、印刷が間に合うように、どうしても徹夜になったり、休日も出てこなくてはいけなくなるんです。デザイン業界は時間が不規則だから嫌だなあと思って、定時で帰れるようにと転職したのに、事務仕事が嫌になったんですよね。今度、お花の仕事を始めたいときは、自分からやらなければと感じて、自分で結婚式場を調べて電話したんです。

ブーケを作ったり、お客様と打ち合わせをして、どうお花でテーブルを飾るかなどを決める、ウエディングフラワーコーディネーターの仕事を7年間しました。

カフェを始めるためにカフェ修行をはじめるも……

千葉さん その仕事をしている間に、カフェを始めたい、アイスクリームを作るカフェを始めたいと思うようになったんです。
食品の世界を知らなかったので、ナチュラルフードコーディネーターという資格を通信教育で取ったんですね。でもやはり知識だけではなくて、体験したいと思い、二本松市内のカフェで修行をするために、お花の仕事を辞めました。

そのお店は大変な人気店で、いつもお客様が外に並ぶぐらいなんです。働いているうちに接客と洗い場を行き来で脚を痛め、フライパンを洗いすぎて腱鞘炎になり、物が持てなくなってしまったんです。それでお店を辞めざるを得ませんでした。
仕事を辞めて家にいたのですが、姉から「お花ができるのであれば、家で作ってネットショップをやったら」と勧められ、「はなこころ」というネットショップを2012年10月にオープンしました。http://hanacocoroto.shop-pro.jp
仕入れなどにお金がかかりますが、その分を代金に上乗せするとお求めやすい価格ではなくなってしまうので、あくまでも趣味です。これで生計は立てられないなあと思っていたところ、福島県立医科大学の講座医局の秘書の話が来ました。学会の資料作りなどの仕事です。働かなければと思ってお受けして、3年半になります。

 

4〜5時間かかっても食べたいソフトクリーム

――いろいろな経歴をお持ちですね。中型自動二輪免許もある。バイクに乗っているんですか。

千葉さん 今は、乗っていないです。福島は冬、乗れないじゃないですか。冬の間バイクを庭に置いていたら乗れなくなっちゃって。横浜は雪が降ることは滅多にないので、1年中乗れるんです。

高校生の時、友達のバイクの後ろに乗るのがもう楽しくて。でも、人の後ろだとその人にお願いしなきゃ乗れないじゃないですか。風を感じながら走りたい時、やっぱり自分で乗れなくちゃだめだと思って、高校卒業してすぐに親に内緒でバイクの免許を取りに行きました。バイクで亡くなった男の子がいたので、私が乗ることを親は絶対許してくれなかったですから。でも、お金がないからローンを組むので、親に連絡が行くんです。で、親に殴られましたけど、免許は取りました(笑)。「取ってもいいけど、買っちゃダメだ」って言われたけど当然買いまして(笑)、またバレて殴られて、懲りないですよね。

――私、実はバイクの普通自動二輪免許を半年前に取ったんです。

千葉さん すごくないですか、私たちのこの歳で。私は若いから取れたけど。

――若い時に取ればよかったと後悔しました。人よりオーバーするし、卒検も全然受からない。

千葉さん でも尊敬する。今、取れって言われても、無理です。バイクは、コースを覚えないとハンコもらえないですよね。車の免許と一緒に取ったんですけれど、ローンで組んだ以外は実費を払わなくちゃいけなかったので、1時間でもオーバーできなかったんです。お金が無かったので、もう真剣でした。1時間もオーバーせずに取りましたね。

――パっと思ったら、もう行動に移しているんですね。

カフェで働き始めた時に、美味しいアイスクリームを自分で作りたいという思いがあったとのことでしたが、それはなぜでしょう。 

千葉さん 高校生の時に「清泉寮」という長野県と山梨県の間にある清里の近くの牧場に行ったんです。男の子たちがバイクの免許を取ってそこに行ってたんですね。で、女子たちを「美味しいソフトクリームがあるから食いに行こうぜ」って誘ってきて。バイクも乗ったことないし、そんなところまでと思ったのだけれど、みんな行くというのでついて行きました。

――二人乗りで行ったのですか。

千葉さん バイクの後ろに乗せてもらって、5台ぐらいで4時間かかって行ったんです。今は舗装されて綺麗な道になりましたが、当時は砂利道で山林のようなところでした。それでもどんどんバイクや車が走って行くんですよ。どこまでも続く道に不安になるぐらいでした。着いたところが牧場で、たくさんの人がだーっと並んでいて。

1時間以上並んだでしょうか。そんなにソフトクリームが美味しいのかなって思っていたんですよ。で、食べたら本当に美味しかったんです。それから何度となく行きましたね。「清泉寮のソフトクリーム食べに行こう」って4、5時間かかって行くんですよ。他県からもたくさんソフトクリームを食べに来ていたんです。SNSがない時代ですからみんな口コミですよ。清泉寮のソフトクリームのことがずっと私の頭にあって、おいしいアイスクリームを自分でも作りたいと思うようになったんです。

 

姪っ子が降りて来たようでした

千葉さん カフェを始めたいと思うきっかけがあったんです。私の姉に3人の子供がいたのですが、次女が19歳で突然亡くなってしまったんです。その3カ月前、私は死亡率90%以上の大病をしました。私は奇跡的に助かった。なぜ私は生き残って、将来のあるその子が亡くなったのかをずっと考えていたんです。ある日、その子にゆかりのあるカフェに行ったのですが、そこで食べたアイスクリームが美味しくて。「おいしいアイスクリームを食べて幸せだなあ」と思ったんですよ。姪っ子もアイスクリームが好きだった。私から姪っ子に贈り物としてプレゼントするぐらいでした。その子はパティシエになりたかったんです。そのとき、いろんなことの全てが一つになった。私はおいしいアイスクリームを出すカフェをやりたいと思ったんです。神がかった話のようだけど、姪っ子が降りてきたようでした。

―― それが、2012年のことだったんですね。

千葉さん 震災の翌年で、大玉村の人たちがみんな苦しんでいました。原発事故の影響から野菜や牛乳が売れなくなって。農畜産業を廃業する人がすごく増えました。

私は、大玉村の田園風景が見えるところに住んでいるのですけれども、その田園風景が大好きだし、福島が大好きです。その時、この美しい田園風景を守るためには、農畜産業を盛り上げなければいけない。何もしなければ残らないんだなあと思いました。

高校生の時に見た、牧場の長蛇の列の光景が頭に焼き付いていて、大玉村に長蛇の列ができて、他県からたくさん人が来てくれたらどんなに素敵かなと思ったんですよ。

自分がやりたいことと合致したことで、まずソフトクリームを作って売ることを目標にしました。次がジェラードです。大玉村の果物や野菜を使ったものを作るのが夢で、最終的な目標は大玉村の景色のいいところにカフェを作ること。美味しいソフトクリームやアイスクリームを食べられて、疲れた人が癒されて元気になってもらえるカフェですね。

 

相談に行けるところはすべて行きました

——それからカフェの開店に向けていろいろと働きかけてきたんですね。

千葉さん 大玉村の村長にも「こういうのをやりたいんです」って何度もお話しました。それでもやはり自分でやらなくちゃと、実際に動きはじめたのは2017年の1月からです。今年、53歳なので、すぐに始めないと、生きているうちにできないと思いました。それで、まず周りの人たちに構想についてどんどん話しました。起業には困難が多いので、簡単に「辛いから」とやめたりしない様、宣言することで自分を追い込んだんです。

また、飲食業界でキャリアを積んだ人と一緒にタッグを組むことを考えました。

私が修行したカフェでお菓子を焼いていたやよいさんという方です。調理師免許を持っているのと、飲食店の経験が長いこと、そしてとにかく人柄が良くて信頼できる。

「一から始めるので、一緒に戦ってもらえる?」とやよいさんに聞いたら「清美さんと一緒に戦います」と言ってくださって。そこから、まずはどういうお店にしていくか、どういう理念のもとにやっていくか、二人で3カ月ぐらいかけて経営方針を作りました。ここが崩れると筋が通らなくなってしまう大事なところですから。

中小企業経営者のための“よろず支援拠点”など、相談に行けるところにはすべて行きましたね。中小企業診断士の方にも無料相談を利用して相談しましたし、大玉村商工会の新規事業担当者の方にもお会いして、色々と薦めていただいたり。あとは日本政策金融公庫の説明会や、起業と名のつくところの講習会はなるべく出るようにして、経営や資金について勉強しました

 

起業家たちとの出会いで、頑張ろうと思えた

 

千葉さん やはり人と人とのつながりが必要なんですね。まず場所を見つけて、そこの土地に通って、貸してくれるようにお願いして。本格的に動く前から、私個人でソフトクリームやジェラードの講習会に参加していたんですね。そこで出会った業務用食品機器メーカーの方に連絡して、お店の建物の見積もりをお願いしたところ、4千万円超えることがわかったんです……そこで初めて、「自分のお店を持つことは無理なんだ」ということに気づきました。

方向転換しないと、全てを諦めてしまうことになると思いました。だったら「小さく初めて大きく育てよう」と考え直したんです。

――お店を持たずに販売することを検討しなければならなくなったんですね。

千葉さん はい。小さくと言っても、どこまで小さくするのかも迷いました。

それに大玉村産の生乳で大玉村の場所にこだわっていたこともあり、身動きが取れなくなっていたんです。

そのころ、よろず支援拠点さんから教えてもらって「コラッセ福島」で行われたセミナーに参加しました。先輩起業家さんたちのお一人が「苦しいときはたくさんの人に会い、たくさんの本を読め」とおっしゃったんです。

起業するために、私は経営や起業に関する本や雑誌をたくさん買っていたのですが、読む時間がなかったんですね。働きながら動いていましたし、土日はネットショップに入る注文のフラワーアレンジの花を作っていましたから。

ちょうど友達から本を1冊20分で読む「レゾナンスリーディング」を紹介してもらったんです。「レゾナンスリーディング」のセミナーは参加費が少し高額だったんですが、これは自分に必要なものだから、自分に対する投資だと思って参加してみました。

参加者は志が高い方ばかりだと思いました。参加者の方々に「今、八方塞がりなんです」と話したら、紹介してもらったのが郡山市内で行われていた先輩起業家さんとコミュニケーションを持つセミナーでした。そこから、郡山市内の起業家たちとつながることができて、色々なアドバイスをいただきました。

色々な方達と話すうちに、元気が出てきたんです。頼りたいとか、何かしてもらいたいということではなくて、同じ方向に一緒に頑張っている方達がいるというだけで、私も頑張ろうと思えた。一人では何にもできないんだなということを実感しているところです。

―― ふたたび一歩踏み出すヒントがもらえたんですね。

千葉さん 「OEMを検討したら?」、「まずは店を持たずに、製品を売ることを考えたら?」など、色々とアドバイスをいただきました。それで、ソフトクリームのミックス※だけを作る工場を作って、ミックスをソフトクリームサーバーを持っているところに販売するという方向に変えて動き出すことにしたのです。

※ソフトクリームの原材料を混ぜたもの。ミックスをソフトクリームの機械に入れてマイナス5度~7度に冷やしてつくる。

ところが、工場を持つにも生乳から作るということに関しては非常にハードルが高かった[/su_highlight]んです。前室、生乳保管室には仕切られた場所が必要で、缶を洗う洗い場や、冷蔵庫を置かなければならないなど法律で決められているんです。また、生乳の検査も受けなければなりません。

製造室にも設備が必要で、作ったミックスを真空パックにする梱包室も別に作らなくてはいけない。全部で4つの部屋が必要なんです。給排水だけでなく、床には水を流せなくてはいけないなどもあって、これらのことを確認するために図面を持って何回も保健所に通いました。

大玉村農家レストランの加工室が使えるようだという話もあったのですが、村で使うことになってしまい、そのお話はあきらめることになりました。希望と絶望の繰り返しです。

 

ピッチイベントで、やってきたことを整理したかった

――ピッチイベントに出場することになったのはそのころですか?

千葉さん いろいろなセミナーに出るなかで、コワーキングスペース郡山 

の運営担当者の方からピッチイベントに出ませんかとお声をかけていただきました。ピッチイベントに出ることで、今まで自分がやってきたことの整理ができると思ったんです。ただ前だけを見てやってきてガムシャラに突っ走っていたけど、反省点もあるのではないかと思っていたので。

担当者の方が、ピッチイベントの発表資料づくりの支援に私の職場まできてくれて打ち合わせをしました。他の方たちは会社を設立されていたり、事業をすでに展開していましたが、私はまだ結果が出ていないので、これまでやってきたことをお話しするしかないだろうと思いました。

それで、自分がどういうことをやってきた、何を伝えたいかを話してみたら、制限時間5分のところ、10分以上の内容になっちゃったんです。そこに私の思いが入りすぎていたんですね。主人に聞いてもらったら「ここはいらない」とかなり削られて。で、ようやく出来上がったのが前夜でした。

——その時に初めて私は千葉さんのお話をうかがったのですが、同世代のかたが挑戦している姿に励まされたんです。

千葉さん 当日は、評価員の方に「熱意が伝わった」とか、「応援したくなった」と講評いただいたのが嬉しくて泣けちゃったんですよ。

 

普通に美味しいのではダメなんです

――お話を伺っていて、私たちはどういう形で千葉さんを応援ができるのか考えたくなりましたね。もちろん、資金づくりなら今流行りのクラウドファンディングなどもあると思うのですけれど。とにかく、生乳のソフトクリームが、他のソフトクリームとどのくらい違うのか体感してみたいです。

千葉さん それは、まず食べてもらうしかないんですよ。

――それには、生乳から作らなければならないんですね。

千葉さん ミックスを作るためのレシピはもうできているんです。まず、殺菌のため68度で30分温めなくてはならないのですが、家の鍋で作るのと、30L入るパステライザーという、業務用の大きな殺菌器で作るのとでは味が変わるのではないかと思うんです。なので、場所が決まって設備を入れてから試作を繰り返さなくてはなりません。

――ぜひ、試食会を開いていただきたいです。

千葉さん 今、お願いしているブランディング会社さんや、資金を出してくださる会社の方々に試食をしてもらう予定です。また、老若男女にも市北してアンケートにご協力いただき、評価を集計したいと計画しています。手持ちのジェラード製造機なので1回1時間半かかかって、300ml作るのが最大なんです。それも、作り置きではなく、出来立てをすぐに食べていただきたい。味が全く違うんです。

――高校時代に食べて忘れられないという、清泉寮のソフトクリームも生乳だったんですよね。

千葉さん はい。ジャージー牛のソフトクリームでした。大玉村にはジャージー牛がいないので、ホルスタインになりますね。

那須にある「森林ノ牧場」のソフトクリームは、生乳で作っていてとっても美味しいです。安定剤や添加物も入れていないと牧場の方に聞きました。そこはジャージー牛を広い牧場に放牧していて、好きな草を食べ、好きな木の皮を食べる、自由にしているんですよ。

清泉寮の方は、残念ながら、当時の味と変わっていました。今は、ソフトクリームの機械がダーっと並んでいて、大量生産になっています。その代わり並ばなくても食べられますが……。大量生産のためには、ミックスに安定剤が使われることも多いんです。なので、私は大量生産は目指しません。

――千葉さんが、生乳で作ったソフトクリームにこだわるのは、やはり味ですか。

千葉さん 牛乳だろうが生乳だろうが、美味しいものを作ればお客様は来てくれる。でも、やはり美味しいのは生乳で作ったものだと、私とやよいさんで作ってみて確信したんです。

――牛乳だったら製造も販売ももっと簡単にできるけど、諦めない。

千葉さん 生乳でなければ、工場にする場所はあります。でも、生乳を諦めるのなら、私はこの事業諦めます。経営理念の2番目は「圧倒的に美味しいものを作る」なんです。普通に美味しいのではダメなんです。

ソフトクリーム一本でやって行くためには、どれだけ売らなくてはならないかとも思います。でも、私は割と楽天家なので、美味しかったらきっと買いにきてくれるのではないかと思うんですよ。

――大玉村で生乳は買えるものなのですか?

千葉さん 生乳を加工していいのは、農家さんだけなんですね。それは法律で決まっていて、私のように農家以外の者が買おうとすると畜産組合を通さなくてはいけないんです。畜産組合の生乳は、各酪農家からタンクローリーに集められたものなんです。

――いろいろな生産農家さんのものが混ざっているものですね。

千葉さん だから、大玉村を通るタンクローリーのものを使っても、二本松や本宮からも集めているので、大玉村だけではなくなってしまうことがわかりました。なので、社名も「大玉のちち」から「あだたらのちち」に変更を考えているのですが、ブランディング会社さんのアドバイスで更に変える予定です。

生乳を扱うための設備も農家さんが自分でやろうとすれば、六次化産業ということで3分の2の助成金が出ます。私がやろうとするとゼロなんですよね。

――農家が経営母体にならないと難しいんですね。

千葉さん はい。私は農家じゃないので、いろいろな支障が出ています。今、ミックスの製造工場を二本松市内に検討している所です。大玉村ではないのですが。そこは生乳を扱うために必要な給排水の設備がないので、300万円の工事費用、建物と設備、運転資金に全部で1千万円かかることがわかりました。今、借り入れも含めて資金を考えています。ただ、出資者やブランディング会社の方には、リスクが高いのでやめたほうがいいと言われました。

本当は今年オープンする予定だったんですけど、今から準備しても秋のオープンになってしまう。そうすると、シーズン的には閑散期となってしまうんです。なので、今年はもう無理だなあと思っています。

来年春のオープンを目標にしても9月には場所が決まっていなければいけない。それまでに場所が決まらなかったら、私は借金してでも今の候補地にオープンしたいと思っています。リスク背負うのは私ですし、最後に決めなくてはならないのは私ですから。だって、こうしていたらあっという間に55歳になり、60歳になってしまいます。

――私もそれを意識していて、逆算しているんです。もしずっと会社勤めをしていたら60歳が定年なので、その年を考えたらその時私に何が残っているのだろうと思うようになったんです。ピッチイベントの時の千葉さんを見て、私も向こう側に立てる人になろうと思いました。

千葉さん 本当ですか。それだけでも嬉しいです。

――自分からテーマを持って、積極的に仕事をしたいと思うようになったんです。

千葉さん 発表した甲斐がありました。

――みなさんが発表するセミナーに参加するのが好きで、学ぶことも多いのですが、それを行動に移していないんです。自信のなさというか、これをやるべきということがわからない。

千葉さん 私は準備なく突っ走ってしまって(笑)。みんなによく言われるのは、「想いだけじゃダメだ」と。ピッチイベントの発表までは想いだけで良かったのですけれど、これからは、経営者としての実力や能力が試されますから、大変だと思います。

――これまでのステージと変わったということですね。千葉さんは起業家さんとして創業者さんたちとお話ができるのは羨ましいです。私もお話を聞くのは好きですけど、何のために聞きに来たの?と言われないように自分も成長したいと思いました。

千葉さん 今日、話をしていくうちにいろいろなことが整理できたような気がします。

そして、どんな困難にも立ち向かい、諦めない気持ちが強くなりました。この様な機会をいただけたことに感謝します。

――こちらこそ、貴重なお話をお聞かせいただいて、ありがとうございました。

追記
その後、千葉さんは二本松市内にあだたらのちち株式会社を立ち上げ、ソフトクリーム工場を設立。2019年3月にソフトクリームの販売を開始しました。
あたたらのちちfacebook ページ

そして、昨年度のふくしまベンチャーアワードで見事、最優秀賞を受賞されています。ここでし食べることのできない生乳の爽やかさが広がるソフトクリーム。ぜひ召し上がってください!

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200128-00000009-fminpo-l07

 

司会者のキャリア+新しい分野への挑戦。オファーに応える仕事術を渡辺久美子さんに訊きました

司会者・一般社団法人 異性間コミュニケーション協会 認定講師 渡辺久美子さん
×みついみさ子

渡辺久美子さんは、結婚式をはじめイベントやセミナーの司会者として25年のキャリアを持つプロフェッショナル。
毎回「スペシャリスト女子会」ではMCを担当する欠かせない存在です。さらに2018年2月にはパーソナルプレゼンテーション講座の講師も担当していただきました。
最近は、異性間コミュニケーション講座をはじめ、婚活セミナーやマナー講師でも活躍されています。

司会業という軸を持ちながら、守備範囲を広げている久美子さん。得意な分野を作り、オファーに応えていくスキルの磨き方、姿勢、メンタルは学びたいことばかり。今回、忙しい久美子さんにじっくりお話をうかがいました。

渡辺久美子さんブログ
https://ameblo.jp/ku-min53ashisuto

異性間コミュニケーション協会
http://www.iseikan.or.jp/teacher/

 

司会の本番は100m走を駆け抜けて行くようなもの

――最近ビジネス系のセミナーに参加すると、参加している皆さん私よりひと世代若いことがよくあります。

渡辺久美子さん 経営者向けのセミナーで同世代の人かなあと思って声をかけると、40代ということが多い。私も50歳から新しいことを始めただけに、大丈夫かな、自分?と思います。

――ええ? 全然、大丈夫そうに見えますけど。

久美子さん 仕事ではスタッフを始め、新郎新婦や婚活中人、いつも若い人の中にいるから、 意識的を若い感覚に置いていかないと ずれていってしまう。子供達と同居していると若い感覚に触れやすいけど、今は子供達は東京で生活しているから、TVも気づけばNHKばかり見てしまいます。

――しかも、子供達って、TVを見ない。個人個人で興味のある対象が違う。

久美子さん 学校教育が個性を重んじるようになって、みんな違って良いという価値観が広がったのは、男の子がツンツンヘアをするようになった頃。あの頃から男性が女性に共感できる世代になってくるのですけど、その世代が今、仕事で頑張っているんですよ。

――今、30歳ぐらいの世代ですね。

久美子さん だから、仕事も多様化してくるし、得意分野を生かしたプロフェッショナルな人がどんどん出てきている。こういう世代に向けて仕事しているのは大変です。何に反応しているのかがわからない。

結婚式もそう。今までは大体流れが決まっていたけど、今は周りや友達と違う、二人だけのオリジナルな披露宴を求めるから、柔軟に構えていないと。

――新郎新婦のそういったアイデアは、どこで考えついているんですかね。

久美子さん YouTubeから拾ってきたり、ブライダル雑誌を専門家より丹念に読みこんでいるんです。

――色々なブライダルを調べ尽くして自分たちのやりたいことを持ってくる。それはすごいですね。

久美子さん だからプランナーがそういった知識を持っていないと、NGを出されてしまうんです。お客様はちゃんと自分たちの価値観を共有できる人に頼みたいんですよ。以前なら、新郎新婦のお二人と司会者がプランニングまで入り込んでイメージ作りをしていたけど、今はプランナーと新郎新婦さんの信頼関係の上で、司会者はイメージを構築して形にしなくちゃいけない。なので、よりプランナーさんと密な情報のやりとりをします。「こういった雰囲気で」という抽象的なものを求められる時もありますね。

――それぞれに対応する引き出しの多さが求められますね。最近私は、話していて言葉に詰まる、固有名詞を覚えられないことがあるんですが、久美子さんは大丈夫そう。

久美子さん 私もありますよ。何だっけと思いながら言い回しを変えていったりするんです。

――久美子さんは現場での瞬発力を出さなくちゃいけないお仕事ですから、鍛えられているのでは。

久美子さん だから司会の本番中は、100メートル走を一気に駆け抜けているみたいなんです。波やリズムに乗らなくちゃいけないし、

――出だしは不調です、というわけにはいかないですものね。

久美子さん 私は陽気ではないんですけれど、人前に出るとテンション上がる病みたいなんです。昔はこんなんじゃなかったんですけど。

 

独学で司会のスキルを取得

――久美子さんは25歳から司会のお仕事に入ったんですよね。

久美子さん はい。私はそれまで結婚式場でフロント業務をやっていたんですよ。

以前は結婚式の司会って男性がやっていて、ちょうどそこから女性司会者に変わる時代でした。郡山市でも吉田いくよさんがヴォイスプロを立ち上げて、どんどん女性の司会者が輩出されていくようになって。だんだんお客様の方から女性の司会者にしてほしいという要望が上がるようになったんです。

――TV番組でもニュースキャスターをはじめ、女性アナウンサーの活躍が目立ってきた頃でしたね。

久美子さん 私の職場では男性司会者しかいなくて、女性で誰がやるか探していたときに、私がちょうど合う年齢だったんですね。「渡辺君やってくれ」って突然言われて。でもそのスキルがなかった。そのとき、男性司会者か譲り受けたのが司会者のためのカセット全集。20巻ぐらいあったでしょうか。それを聞きながら独学で学びました。

それだけじゃなくて、やはり現場の司会を学びたかったので、友人の披露宴にお呼ばれしたときに、司会者の方に事情を話して録音させてもらって。普通はありえないことなんですが。それを聞きながら自分の書いた原稿とすり合わせをして、女性らしい言い回しに変えて、自分の原稿を完成させました。司会者は必ず自分で原稿を作って、暗記するんです。

――台本を作るんですね。回数を重ねるとその台本がだんだん自分の言葉になっていく。あまりかっちり作り込まなくなってくるんですか。

久美子さん 会場ではいろいろなことが起こるので、こうなったらこう話すとか、こうなったらこうするとか想定して書いておくんですね。それに、結婚式場によって会場ごとに、求められる司会の色があるんです。

――それは面白いですね。

久美子さん 例えば、料理に力を入れているホテルでは、お客様がお料理を楽しんでいるときに拍手を求めると、ナイフ・フォークを置いて拍手をしなければならないので、NG。だから、拍手を求めないコメントで拍手してもらってくださいと言われます。

――それは高度ですね。いったいどうするんですか。

久美子さん 昔、芸能人の披露宴というと必ず徳光和夫さんが司会をしていましたよね。徳光さんは必ず「どうぞお二人に祝福をお送りください」と言うんです。料理の手を止めず、新郎新婦に目線を送ることもできる。

ホテルの洗練された雰囲気に合うように、淡々と司会をしてくださいと言われることもあります。ケーキ入刀は特に盛り上げる場面ですけど、「ケーキ入刀です!」なんて声を張り上げるとあの司会者NGなんて言われることもありますね。

会場によっては、司会者は進行役に徹することを求められます。逆に式場は演出重視なので、言葉で盛り上げてお客様を泣かせてくれと演出家でもあることも求められるんです。

――どちらの要望にも対応してきたんですね。

久美子さん それぞれ求めているものがわかってきますからね。お客様の要望を聞きつつも、会場の色も大切にしていく。

――そうやって対応して。もうフリーランスの方が長いのですか?

久美子さん 結婚式場の専属だった時期が長いですね。担当する披露宴の組数が多くて、専属でしかできなかったんです。少子化に伴って組数が減ってきてからは、ほかの仕事もできる余裕が出て来ました。今は完全にフリーランスで、オファーがあればいろいろな式場の司会を引き受けています。

仕事とは能力より難しいことを頼まれるもの

――この先、どうやって仕事すべきか悩やんでいます。中年の危機じゃないですけど。

久美子さん 同じですよ。

――久美子さんは、新しいことに挑戦して、ちゃんと形にしているじゃないですか。

久美子さん 何を言っているんですか。一流になれるかどうかは、やっぱりプラス的なものが必要だと思っています。

きちんと積み上げてきた世界に飛び込んでいくと、そこで試される。例えば、単価。新しく始めたことだから次につながればいいなと思って相手の希望をのむことがあります。でもそればかりでいいのかなと悩むことはありますよ。

――私はまだそこまでもたどり着けない。私までたどってくれることがなかなかないわけですから。

久美子さん はじめはね、面白がられて呼ばれることもあるんです。けれども、そこで試される段階で本物になっていなかったら落とされるだけ。どうしたら次に続くのかなんですよね。

――よくわかります。自分のメンタルが弱いことを自覚したので、最近は厳しい要求がされそうだと思うと、無理ですと先に壁を作っちゃうんです。自分から断れるようになったことはよかったと思う一方、こういう仕事の仕方だと頼みにくいだろうし、今後仕事が続くのか不安にもなりますね。

久美子さん ある有名な方が言っていたのだけれども、「仕事は自分の実力以上のものが来る」って。自分は今この段階だからこの仕事ならできると思っていても、自分の実力以上のものが来るから、そこで断ってはダメで「自分の実力との戦いなんだよ、仕事は」と。

——そうなんですか!

久美子さん だから「こんな仕事やったことないのに来ちゃった」と思ってもハッタリで引き受けることもあります。でも、準備してその仕事をやった後に「できちゃった」ということ一つ一つが自信の積み重ねになっている。

だから、仕事を投げかけて来てくれることはありがたい。本当はビビッているんですけれどね。

女性は、もっと自分らしく働ける

――久美子さんとは、もともと子どもの高校のPTAで出会ったんですよね。

2014年11月から(coba koriyamaの運営会社)グロウィングクラウドで開催していた「ビジネスプロデューサー講座」に参加して。同姓同名の方がいるんだあ、と思ったら、久美子さんだった!ビジネスプロデューサー講座に参加していた頃は、もう異性間コミュニケーション講座は受けていたんですか。

久美子さん あの時は、ビジョンだけでした。それまでは婚活イベントのMCをやって来たけれども、そこからどう広げればいいのかなということでセミナーに参加して。

司会者は年齢である程度できるジャンルが決まってしまうんです。だから今までのスキルを生かして、司会業だけじゃないことに挑戦したいと思ったんです。婚活事業に興味があったので、どう肉付けしていけばいいのか考えて、異性間コミュニケーション講座の講師の資格を取りました。

とにかく、肩書きが欲しかった。ありがたいことに、「資格を取ったよ」とSNSで報告したら、講座の依頼が来て。

――司会のお仕事と、資格がうまくリンクした。

久美子さん 婚活でセミナー講師をやると、実生活で恋愛経験が多いと思われるのですが。そうじゃないんです。私も男の人の気もちなんかわからない。だから、私も異性間コミュニケーションを学びたかったんです。

学んでみてわかったことは、私はこれまでいわゆる「頭脳女子」という、男性社会の中にいて、男性の考え方に合わせて男性の鎧を身につけている女子だったんです。異性間コミュニケーション協会の代表が本に書いているんですけれど。

参照:『頭脳女子の婚活力』(佐藤律子著 青春出版社)

環境がそういう女の人たちを作っていくんです。仕事をしている女性はそうなっている。

――女性は共感力が高いので、周りの男性の考え方を理解したあげく、その考え方を取り入れやすいんですね。

久美子さん 男性のなかで仕事をしているうちに、「女性だから」と言われることを避けようとして、本当は自分の意見を持っているけど、そういう環境にいる女性はどうしても男性頭脳になっていく。それをずっと繰り返していくと、本来は体力的な面では特に男性と違うから、心も体もボロボロになるわけですよ。そうならないためにも、本来持っている女性のよさをうまく使って男性と共存していく。そうできれば、同じ体力でも仕事ができるようになる。なおかつ、それは男性にとっても嬉しいことだよということは意外とみんな分かっていない。私が初めてこのことを知ったときは、もう目から鱗でした。

婚活サポートのために異性間コミュニケーションを学んだけど、いま一番応援したいのは頑張っている女性たち。もっと自分らしく楽に仕事ができるんだよ、ということを伝えたいですね。

――周囲に合わせすぎて、自己犠牲が常になってしまう状態に陥りやすいと。

久美子さん 屈辱的な思いをしている人もいるでしょう。でも、もっと自由に働けるんだよということを、今後は企業向けにも伝えたいと思っているんです。

――面白い内容ですね。

久美子さん 私も話していて面白いですから!

経営者の勉強会でも、みんな熱心に聞いてくださる。今、興味を持たれているテーマだと思います。

――直接問題を抱えている企業の人事担当の方や、女性管理職の方に届くといいですよね。

 

会社を持つということ

――私は仕事柄、取材させていただいたり、たくさんの人にお会いします。ここco-ba koriyamaを借りているのも、人とつながっていたいからなんですが、久美子さんは、セミナー講師などのお仕事は、お知り合いの方達からのオファーが多いのですか。

久美子さん 私は経営者の方の勉強会などに参加しています。その方達の勉強会でお話させていただくこともありますね。

――久美子さんは、株式会社の代表でもある。

久美子さん 私の職場の先輩だったある経営者団体の役員の方から、「大切なのは組織。**代表だけじゃだめだ」って言われたのがきっかけで作ったんです。

――私は恥ずかしい話、株式会社をつくったものの、いま休んでいる状態なんですよね。

久美子さん 大丈夫ですよ。よく株式会社を作ったら、同じ集団のところに行かなくちゃいけないと言われます。だから皆さん、経営者の方々の集まりに行くんですよ。

――今日は、そのあたりをお聞きしたくて。例えば私の仕事、ライターとして成り立つことができますか。

久美子さん ライターさんは一つの才能なので、そのスキルを求めている人たちは必ずいると思います。私も名刺の裏に司会業やマナー講師であることが書いてあるので、経営者の方に後で思い出してもらえて、依頼をいただくこともありますから。

――渡辺久美子さんにこういうことをお願いしようという画が浮かびますよね。ライターの仕事はもっと具体的に明示しないとピンとこないと思っていて……。

久美子さん 私がニーズがあると思うのは、経営者さんの祝辞原稿ですね。

――そういうスキルを身につけていけばいいんですね。

久美子さん 格言を入れると、良いスピーチ原稿ができる。数値やデータやなど求めるものに応じて作成するんです。あとは、自伝を書きたいという人もいらっしゃいますね。

――そういう事例を作って、提案できるようになりたいですね。そのときにチームで仕事ができるように地元のライターさんともつながりたいです。

 

自分を見つめ直す時間も必要

 

――まだまだ私の力がないのだと思うのですけど。自分の仕事を紹介するときに、申し訳ない気持ちになってしまうんですよね。

久美子さん 何で?

――なんだか、ライターやってるとか、WEBの記事書いているって話すのにモジモジしちゃうんです。

久美子さん みさこさん、「ライターって何ですか?」って言われたら、「文章書いてます。何でも書きます」って言わないと。そのほうがわかりやすいですよ。

――ああ、なるほどーー。

久美子さん 私たちより上の世代の社長さんたちは、アナログ世代なので、ネット系の言葉が出ると完全に耳がシャットダウンしちゃうんです。私もアナログだからそういう世代をターゲットにしやすい。若い人の感覚は若い人しかわからないですけどね。

――たしかに、携帯は使っていてもネットは全く、という人たちがいますね。

久美子さん 話し方教室に行こうと思っていたるけど、ここでできる? と聞かれることもあります。困っている方はいて、需要はあると思いますから。

――私自身、若い時からキャリアを積み重ねていた人たちにスキルではかなわない気がしていて、自信がないままこの歳になってしまった。なので、同世代で頑張ってきて輝いている方の話をお聞きしたいと思っているんです。

今、今後会社勤めすべきか、もっと別のことで頑張るかの選択に迫られているんです。

久美子さん そういう時はやっぱり必要でね、ここで一度フラットにしなくちゃいけないんですよ。いろいろ影響されていると、思考も流れていってしまう。自分が本当は何が欲しいのか、見つめ直す意味でもそういう時間は必要だと思います。

もう私たちの年代は、若い人たちとは違うので、ある程度社会貢献的な視点で何ができるか考えなくては、と思います。

――私は社会福祉的なことを考えていました。でも、ピンとこない。

久美子さん この間、神田正典さんのセミナーの司会をさせていただいたときに、「今ポケモン世代の社長がぐいぐいと力をつけて世の中に出てきている時代です」と神田さんが言っていて、それじゃあ、ウルトラマン世代の私たちは?って思いますけど……。だから私は、結婚したいけどできない方々を応援する仕事をしている。これは若い人はできないんです。世話役おばさんではなく、婚活世代を支援することで社会貢献できたらいいなと思っているから。

――ちゃんとできていますね。

久美子さん だけどね、今だけなんです。

――え? というのは?

久美子さん 今は、団塊ジュニア世代、または日本の景気が冷え込んでいた頃しか知らない世代が結婚できず悩んでいる。でもその先は、突き抜けた個性派時代になるから、結婚なんて関係ない、オレはオレ、好きだから一緒にいるんだと、結婚の形が変わっていく。

――パートナーはいるけど結婚という形にはこだわらない。

久美子さん そういう世代になると、今度は日本の結婚という制度が変わって来る。ヨーロッパ、特に北欧の制度が取り入れられて、結婚しないと得られない権利というものもなくなって来るでしょう。

――そうしていかないと、子育てできないですよね。

久美子さん お互い別姓でありながらもお互いの子どもとして制度が認めていくようになる。だから、婚約がビジネスとして成り立っているのは、今だけかもしれない。もう結婚の適齢期というのもなくなっていますからね。昔はね、クリスマスケーキ論(※)がありましたけど。

※80年代後半まで、クリスマスケーキが売れる期限12月25になぞらえて、25歳まで結婚しなくては売れ残るという認識があった。

――今は、結婚式でもバツイチの方は増えていますか。

久美子さん いますいます。不思議なのは、結婚できる方は何回もできる。結婚できない方は、真面目な方が多いのではないでしょうか。経済的な余裕がないと結婚して生活を共にする自信がない。観点が違うんです。自分でだめだと思い込まないでほしいですね。

 

続けることに価値があるから

――今、健康に気を使っていることってありますか。

久美子さん 前はジムに通っていましたけど、今はウォーキングをしたり。近くに公営体育館があって、そこに週に2回行くという目標を立てていますけど、実際はなかなかいけない。

――私は水泳を習いたいと思うんですけど、以前習っていた合気道も袴の着付けが覚えられずにやめちゃったし、何か始めるとまたやめちゃう気がして始められない。

久美子さん 気にすることないですよ。私はひらめき人間なので、やろうと思ったらやる。やめようと思ったらやめる。

――何かを始めたらちゃんと成しとげているように思いますよ。

久美子さん 仕事もそうです。とりあえず「いいよ」って言って受けちゃう。受けたらやるしかないわけですよ。

――何かを受け続けて、ちゃんとキャリアとして蓄積されている。

久美子さん 来たものは大体全部引き受けています。お断りできる身分ではないと思っています。続けることに価値がある。誰かがおっしゃってくださったけど、種まきしていても芽が出るのは3年目ぐらいから。ちょうど私も3年目ぐらいから、婚活イベントや異性間コミュニケーションの仕事で声がかかるようになってきたと実感してきています。

――そうか。じゃあ、私はまだまだですね。

久美子さん だって話を聞いているとみさ子さんは止めているもの。

――自分から「こういうことできます」ってうまく言えないんですよね。

久美子さん セミナーだって、引き受けたものの、実際はドキドキですよ

――子育て中のママ向けのビジネスセミナーの会場で、これまで仕事の経験を重ねていた方でも、「子育てで一度仕事を離れたことで自信がない」と話していましたね。

久美子さん 誰でも不安になるんですよ。

――だから、自分が知っていることでも、講座を受けることでおさらいができるのがいいなと思いました。

久美子さん 一番前の席の方に「何が知りたいの」って具体的に聞いたんです。そうしたら、「社会と離れた分確かめたかった。今のレベルがどうなっているのか知りたい」と。

私はこれまで結婚式という現場でお客様とスタッフのやり取りを目の前で見ているので、お客様の気持ちも理解できる。なぜそういうことが起こるのか、どうすればもっとお客様が喜んでくれるのかを考えて、マナー講座で話しています。

――育休ママたちに必要なのは、仕事復帰への自信かもしれない。

久美子さん 一つ思ったのは、家庭に入ると敬語を使う世界から離れてしまうんです。すると、どこまでが敬語で、どこからが過剰敬語かわからない。経験のある人たちは、身についているから仕事復帰したらすぐに思い出すと思うんですよね。

やってみないとわからないから。みさこさんも怖がらずやってみてください。

――そうですね。元気になりました! ありがとうございます。