技術で身を立てること、仕事をしながら介護をすることについて、美容室オーナーの鈴木扶美さんに訊いてみました


同世代インタビュー

美容室・スタジオシェルパ代表 鈴木扶美さん

(聞き手・まとめ)みついみさこ

 

私がスタジオシェルパを利用するようになったのは、2011年。それまでずっと通っていた美容室で、希望を伝えても髪型を変えてくれないことが何回か続き(長年同じ美容師さんに担当してもらっていたため、いつもの髪型が私にとってベストだと考えてくれていたのかも知れない……)そろそろ美容室を変えなくてはと探していたときに、出会った美容室がシェルパでした。
昔、ある美容師さんからつむじが二つあるため、セットしにくいと言われたこともある私の髪ですが、鈴木さんがカットしてくださったヘアスタイルは理想通り。聞いてみると鈴木さんは私と同い年。7年にわたって頼りにさせてもらっています。

いつも思うのは、技術で身を立ててお店を経営していくのってすごいことなんだなあということ。オーナーになるまでの道のりや、お店を繁盛させていることについて一度じっくりお話を伺いたいと思っていたのです。

 

(鈴木扶美さん・右側)

《鈴木扶美さん プロフィール》

美容師・スタイリスト。会社員を経て、美容師に転身。美容室に勤務後、独立。郡山市にある美容室、「スタジオシェルパ」オーナーとなる。
温かいお店の雰囲気と、丁寧な対応や手際の良さ、スタイリング技術が評判となり、男女問わず幅広い年代に支持され、地域に親しまれている美容室である。

スタジオシェルパ 郡山市菜根屋敷416-1 柳ビル1F
電話024-923-0318 AM9:00~PM6:00(受付)
定休日 毎週月曜、第3月、火曜日
ホームページ
http://bringmisako.main.jp/web3/wp-admin/

 

ゼネコン社員から美容師に

――鈴木さんは、美容師への道はどのようにスタートされたのですか?

鈴木扶美さん(以下、鈴木さん):高校を卒業してから就職したのは製造業でした。それから家で蕎麦屋兼居酒屋をやりたいということになり、家の手伝いを24歳までしていたんです。

――意外でした。すぐに美容師になったのかとばかり思っていたので。

鈴木さん ええ。居酒屋は夜の仕事なので、21歳から昼はゼネコンの事務の仕事をしていました。居酒屋に通っていたゼネコンの人から、「昼仕事していないなら、うちでアルバイトしない? 電話取るだけでいいから」と誘われたんです。でも実際は、電話だけどころか大事な仕事ばかりでした。郡山の西部工業団地の造成工事が盛んなころで、共同事業体の中心になっていた土木系のゼネコンでしたので、工事をまとめる業務をしていたんです。

――じゃあ、たいへんな仕事でしたね。

鈴木さん はい。他の会社の分のお金のことも管理する仕事だったんです――。その工事が竣工(完成)する時に大手ゼネコン企業から「うちで働かないか」って声をかけてもらったので、転職しました。所長あてに何社から話が来ていたそうです。若かった私は一番給料の高い会社を選んで働くことにしました(笑)。

でも、今考えてみると、一番給料が高いということは、一番仕事が大変だということなんですよね……。

24歳のとき、夜の居酒屋とゼネコンの仕事をしていたのですけど、母が体を壊したこともあり、私も昼の仕事に専念したいと思うようになって、家族経営での居酒屋をたたむことにしたんです。ちょうどそのとき居酒屋を買い取りたいという方がいらっしゃって助かりました。

ゼネコンでは28歳まで働きました。計7年間ですね。契約社員で働いていたのですが、ちょうど神戸の震災(阪神淡路大震災)があった年で、そのゼネコンの本店が神戸だったので、次の契約は神戸での勤務になるかもしれないということでした。私は一人っ子だったので、遠くに行くのはためらっていたんです。

ありがたいことに、正社員になれるように支店から推薦状を出してあげるという話もあったのですが、昨日まで仲がよかった人から「高卒なのに、なんで?」というようなやっかみの態度を取られるようになって、職場での居づらさを感じるようになりました。

そんなこともあって――あと、男性社員が会社で怒られているときに、先輩が後輩に対して「どこの学校を出たんだ」って言うんですよね。それに私はついていけなくて……学歴じゃなくて、仕事ができるかどうかだと私は思っていましたから。学歴じゃない世界を味わってみたいと思うようになったんです。

それで、中卒でも高卒でも大卒でも関係のない、自分の力で生活ができないかと、いろいろな仕事を考えました。

――どんな仕事を考えていたのですか。

鈴木さん 蕎麦屋さんもいいし、花屋さんにもなりたかった。親戚のおじさんは「蕎麦屋は大変だぞ」って言うし、花屋は在庫を抱えてしまう心配があった。美容師を選んだのは、もともと本家が美容室だったので、「やっているのを見ていたんだから、わかるだろう」と言われたのがきっかけです。

最初はアルバイトから始めるつもりでしたが、当然、アルバイトで働くだけでは美容師になれないので、美容師学校に行って相談しました。

会社で働いていたときの貯金があったので、昼間に学校に行くつもりだったのですけど、学校の事務員の方に「その歳じゃ若い人と一緒に勉強するなんてできないわよ」って言われたんですよ……「じゃあ、なりません!」と言って玄関を出て行こうとしたら、話を聞いていたその学校の理事長さんが追っかけてきてくれて「通信学習という方法があるので、ぜひうちの学校の生徒になってください」と言ってくれたんです。

 

40歳で判断してくださいと先生に言いました

鈴木さん それで、働きながら美容師の勉強することにしました。働くお店も決めなくてはいけなかったので、それで働き始めたのがここだったんです。

――「ここ」というのは? 昔からここに美容室があったのですか?

鈴木さん はい。女性オーナーの店で、今とは別の店名でした。私の母が病気だったため、家から近いほうがいいと考えて、決まりました。

その後で、事情があって男性オーナーが買い取ることになったのですが、私はゼネコンでの経験もあり「男性のなかで女性一人だけで働くのが嫌なんです」と話したんですよ。でも、「私がいるからここを買い取ることにしたんだから」と毎日のように説得されて――。

当時はカリスマ美容師が注目されていた時代で、その男性オーナーも郡山では「あの先生」と周りが口にするぐらいの存在だったので気負ってしまったこともありました。怖くなったというか。

相談した父からは「とりあえずやってみればいいんじゃないか」と言われたので、働くことにしました。

先生には「40歳まではここにいますが、独立したほうがいいのかどうか、先生の判断で言ってください」と話したんです。

——なぜ、40歳で判断してもらおうと思ったのですか?

鈴木さん 父も職人だったので、それを見ていて2、3年で仕事を覚えるのは無理だとわかっていました。そのとき30歳だったので、10年経ったときに自分が物になっているかどうか確かめたかったのだと思います。

――もし、「向いていない」と言われたら、違う仕事を考えようと思っていたのですか?

鈴木さん それまでにも実はいろいろな仕事をしていたんです。水道の図面を描く仕事もしていました。

――もし40歳で美容師を辞めても他の仕事ができる。

鈴木さん  まだ、40歳だったら何かできるかな、みたいな、漠然とですけどね。

水道の図面を書く会社では社長が従業員を大切にしている姿が印象的でした。その会社では、夜遅くまで仕事をしていると、社長が従業員のために夕食を隣の食堂からとってくれていたんですね。それまで私は社員のために社長が夜ご飯を振る舞うようなことを経験していなかったので、勉強になりました。

理論があったから面白いと思えた

――美容師のお仕事は合っていたようですね。

鈴木さん 最初は、美容師の面白味ってわからなかったんです。とにかく必死に、周りに慣れなきゃ、美容師さんはこんな風でなきゃっていう思いが強かったと思います。

オーナーが良かったんでしょうね。一つ一つ理論立てて教えてくれた。私にはそれが楽しかったんです。

髪を染める染色剤の調合にしても実はすごく難しい。同じ色でも、人によって色の出方が違うから、勉強していくしかない。

特に最近は、茶色だけではなくて、シルバーを入れたり、ミルクティとか、色が複雑になってきました。それに対応する色があっても、地毛の色がみんな違うので、その通りの色が出るかどうかわからないんです。

――予想通りの色を出すためにはどうするのですか。

鈴木さん 皆さんが以前髪を染めたときに使った染色剤の履歴を参考にします。これまでどんな色を入れていたとか、今どんな色を入れているとかを調べる。そういうことが面白くなってきて、講習会にもよく通いました。勉強に熱心な子が声をかけてくれるんですよ。あんなに男性とは仕事をしたくないと思っていたのに、講習会にはいつも男の子たちと一緒に行っていました。

―― 勉強はかなりしてきたほうだと思いますか。

鈴木さん 私の周りの方達はみんな勉強していますね。私よりしているんじゃないかな。

似合う髪型を一緒に決めていく作業

――ヘアスタイルといっても、カットやカラー、パーマ、スタイリングなどいろいろなアプローチがあります。お客様の要望に合わせながら、似合う髪型にしなければいけませんよね。

鈴木さん 前のオーナーにもっとお世辞を言えって言われていました。でも私はお世辞を言えなくて(笑)。「うーん」とか「あんまり良くないんじゃないかな」ってはっきり言っちゃうんですよ。お客様には「はっきり言ってくれるからお任せできるんだよ」と言ってもらっているのですが。

雑誌やスタイル誌を見てこの通りにと希望されても、人によって似合うかたちと似合わないかたちがあります。私もそうなのですが、顔の輪郭によっては似合う髪型が決まっちゃうんです。なので、自分を引き合いにしながらここをこうすると顔が長く見えるとか、大きく見えるとか説明していますね。

――洋服屋さんによっては、「よく似合いますよ」と言われても嘘ばっかりって思うことがありますよね。試着してみて「ここがちょっと」と言っても、「そんなことないですよ」って押してくる。でもそういう服は、結局一度しか袖を通さないで終わってしまったりします。それよりは、きちんとアドバイスしてもらったほうがいい。まして髪型は一度切ったら伸ばすまで時間がかかりますものね。

鈴木さん そうですね。なので、こうしたほうがいいですよと少しずつお勧めしながらお客様と一緒に似合う髪型にしていくことが大切なんです。

震災直後も毎日営業していました

――10年後、オーナーさんに尋ねたのですか。

鈴木さん 38歳か39歳の時「オーナー、私って独立したほうがいいんですかね」ってさらっと聞いてみたんです。その時は「うーんどうする?」という返事だったんですね。3カ月後にオーナーから「お前に譲る」と言われました。美容学校の校長先生もしていたこともあって忙しいからと。

それで、支店だったこのお店の経営権を買い取って譲り受けることになりました。いろいろあって別の場所に新しいお店を立ち上げることも考えましたが、母が病弱だったこともあって、オーナーからも「お金かかかることは今はやめたほうがいい。今土台があるところで始めて、ゼロから始めるのならお金が貯まってからほうがいい」と言われて。

――それで、このお店のオーナーになったのですね。

鈴木さん もう11年前になるでしょうか。お店の名前は残しておいてくれと言われたので、お世話になったこともあり変えていません。店名の「シェルパ」というのは、山の案内人という意味です。前のオーナーが山登りが好きで、私たちは美の案内人になるという思いを込めてつけた名前なんです。

――鈴木さんがオーナーになってからお店の改装をしたのですね。

鈴木さん はい。震災の直前、2010年の暮れでした。

もし改装していなかったら、震災で店舗が壊れて使えなくなっていたと思います。

――じゃあ、震災の被害はなかったんですか。

鈴木さん 何にもなかったんです。水道も出ていたし、灯油を使っていたので、毎日営業していました。

――髪の毛を洗いに来た人も多かったのではないですか。

鈴木さん シャンプーブローの方が多かったですね。震災で近くの水道管が壊れた影響で水から泥が出たりしていたので「赤い水でもいいですか」ってお断りして。

原発事故の直後で避難するかどうかわからない状況でもあったので、スタッフには「一旦家で待機していて」といっていました。でも、お客さんがどんどん来られたので「ごめん、やっぱり出てきて」って話して結局毎日営業していましたね。

――その年、私はお店のチラシを見てきたのだと思います。

鈴木さん 新装オープンということで、チラシを配布していたんです。

――あの年も結構暑い夏で、髪の毛をとにかく切りたくなったんです。で、切ってもらって。

鈴木さん 覚えています(笑)。そう、あの年も暑かったんですね。

――改装する前と後では、お客さんの層は変わりましたか?

鈴木さん 優しい雰囲気で若い人から年配の人まで来やすいお店のデザインにしたので、年代関係なく満遍なく新規のお客様が増えましたね。

――それは強みですよね。

鈴木さん 家族で来てもらえるお客様も多いんですね。息子さんとお母さんとか、お孫さん、お母さん、おばあちゃんとか。

 

他のお店でやっていないことを

——郡山市はものすごく美容室が多いですよね。いつもお客様がいる鈴木さんのお店は、お客様に選ばれるための工夫を色々されていると思います。「シェルパ通信」という店長とスタッフさんの近況や、新製品の情報などが掲載された手書きのお便りを毎月送ってくれていますよね。

鈴木さん SNSも始めてみました。LINEのタイムラインでお客様にお店の情報を配信しています。でも、スマホを持っていない世代の方には「シェルパ通信」のようなアナログな方法でお伝えしたほうがわかりやすいですよね。ハガキもまめにお送りしています。

――ハガキで次は何日ごろがご来店日ですと教えてくれますよね。先日もちょうど誕生月のサービスをお知らせくださいました。

鈴木さん あるときハガキ出すのが遅れたことがあったのですが、お客様に待っていたのに来なかったって怒られることもあるんです。楽しみに待っていてくださる方もいらっしゃるんですよね。

――お店が終わった後に、コツコツ描いていらっしゃるんですよね。ああいった通信は何かを参考にされているのですか?

鈴木さん 東京にある大手の美容室でやっていることを参考にしています。

私は、仙台の先生の講習で「他でやっていないことをやれ」と教わったので、いろいろと取り入れています。お客様にガーゼをお渡ししたり、レジ脇にお客様が次回来るときのための予約表を置いているのもその一つですね。

 

介護サービスを柔軟に使って乗り越える

――ところで、 私たちの年代ですと、ちょうど親の介護に直面することがあります。鈴木さんも仕事で一番忙しい時期にご両親の介護をされていたとか。よく乗り越えられましたよね。

鈴木さん よくお客様にも言われます。]私は、介護制度をフル活用しました。お金はかかるけどお願いできる部分を利用しましたね。お店を開けながら、2時間おきに様子を見に行ったりしたこともあります。任せられるスタッフがいるからできたことですね。

――お母様が入院されていた時はお仕事が終わったあと、遠い病院まで通っていたとか。

鈴木さん 冬は特に辛かったですね。郡山市熱海町の病院に母が入院していたときは、吹雪でホワイトアウトになってしまって、どうやって帰ろうかと不安になることもありました。

――介護が必要になった時は、ケアマネージャーに相談して……。

鈴木さん 母が入院している間に父も認知症が進んで来たので、ケアマネージャーに相談してデイサービスを紹介してもらいましたね。デイサービスに行きたくないという父をケアマネージャーが説得してくれました。

――いろいろな介護サービスを組み合わせた。

鈴木さん 訪問介護も利用しました。家の冷蔵庫を開けられるのが嫌だとか考えている場合じゃなかった。父の夜ご飯も用意してもらわないと困るので、やってもらうしかなかったですもん。

――仕事と介護を抱えて悩んでいる方がいたら、多少費用はかかる場合もありますが、制度をどんどん利用したほうがいい。定年より10年ぐらい前に辞めてしまう、介護離職という言葉もありますね。

鈴木さん もし、私が会社でOLを続けていたら、仕事を続けられたかなあと思いますね。

母が亡くなったあと、父の認知症が急に進んだ時に、デイサービスから帰って来てから一人にできなくて、悩んだことがあります。デイサービスを利用していると組み合わせができない制度もあって……。

それで、父をお店に連れて来てもらうことにしたんです。

デイサービスでお店まで送ってもらえれば、着付け室に畳があるので、そこでテレビを見ながら私が仕事を終わるまで待っててもらうことにしました。そんなふうに柔軟に考えて来ましたね。

――自営だとある程度融通が利くところもありますね。とにかく一人で抱え込まないで、相談したほうがいいのですね。いろいろ方法はあるのですから。

鈴木さん 会社勤めだったらできなかったかもと思います。でもいろいろな策はあります。私の先輩は、フレックス勤務制度を使って会社勤めをしながらお父様を介護したそうです。

――介護で早退や休暇が多いことで気まずくなって介護離職をしてしまうのはもったいないですよね。せっかくそれまで気づいたキャリアなのですから。

鈴木さん 自営業だからたいへんでしょうと言われましたが、逆に自営業だから乗り越えられた部分もあったと思います。発想の転換ですね。店に連れてこればトイレに行きたいと言えば私がいるから仕事の合間に介助できる。

――おうちが近かったというのもあるのでしょうか。

鈴木さん 遠かったらできなかったでしょうね。

 

携帯電話がなかった時代

――鈴木さんは子どもの頃から近くにいたのですか。

鈴木さん 子どもの頃は市内の深沢にずっと住んでいて、中学校から25歳までは朝日にいました。

――けっこう街中にいたのですね。いい場所ですよね。私は久留米でしたが、子どもの頃は田んぼばかりでした。小3のときにAコープができたのが初めて久留米にできたスーパーマーケットという感じで。あとは魚屋さんとか小さいお店ばかりで、アルバムの中の我が家はまるで大草原の小さな家でした。

鈴木さん 幼稚園のときにバス通園でしたが、このあたりで降りる子がいて、遠いなあと思っていましたから。私は小学校6年まで田んぼを見たことがなかったんです。遊ぶところは駅前だったので。

――私とは逆ですね。

鈴木さん 学区内に郡山ミュージック劇場があって、友達の家の近所で、ミュージック劇場の裏でタバコを吸っている女性に「お姉ちゃんおいで」って楽屋に連れていかれて、お菓子をたべさせてもらったり飴をもらったりしていたんです。そのことを母に言ったら「もう行くんじゃない」ってしかられて。今では意味が分かりますが、不思議な記憶でした。

――繁華街が身近だったんですね。私は都会へのあこがれが募っていました。中学の修学旅行で表参道をバスの中から見たとき、うっとりしていましたよ。

鈴木さん 東京と言えば今でも思い出すのが、上野の駅でおじさんと待ち合わせしたときのことです。「パンダの前で」と言われたんですけど、パンダが2カ所にあったんですよ。

――結局どうしたんですか。

鈴木さん 叔父が私の家に電話をかけてくれたみたいで、別なほうじゃないかと気づいて迎えに来てくれたんです。一人だったのでそれはもう心細かった。今みたいにスマホで検索してパンダは2カ所あると気づくなんてことはないですからね。

――私も約20年前、友達と武道館にライブを見に行く予定で、待ち合わせに失敗して、友人にチケットを渡すことができず一人で見た記憶があります。それがきっかけで携帯電話を買う決心がつきました。

鈴木さん そのときに、東京に電車で一人で行けたことが自信になって、高校時代に東北本線で車内販売のアルバイトをしていました。毎日上野に行って上野で遊んで帰ってくる。

――急行列車とか?

鈴木さん 特急です。東北新幹線はありましたが大宮が終点でした。

――アルバイトしながら上野に行って、帰りもアルバイトしながら郡山まで帰ってくる。仕事の選び方が上手いですね(笑)

鈴木さん 最初は夏休みにお弁当を作る工場でアルバイトしていたのですが、車内販売をやってほしいと頼まれたんです。

――コミュニケーション能力が高いと思われたのかもしれませんね。度胸があるとか。

鈴木さん いえいえ。でも、いい経験をさせてもらいました。新幹線の中で「毎度ご乗車ありがとうございます」というアナウンスをさせてもらったこともあったんです。乗務員室にも入れてもらったりして。

――国鉄時代はのんびりしていたんですね。今では難しいでしょうけど。

 

いくつまで仕事しますか

――お店をずっと続けられると思うのですけれど、鈴木さんご自身は、引退は考えずにやっていくご予定ですか。

鈴木さん 保険代理店で生命保険の試算をしてもらったのですが、保険に入るときに「いくつまで仕事やりたい?」と最初に聞かれるんですよ。75歳まで仕事を続ける予定で保険に入ったので、それまでは辞めないですね(笑)。

――居場所がある、仕事があるのってすごくいいことですよね。60歳以降何をやるか、それを探している人が多いと思います。

鈴木さん やらなくてはいけないことがあるのは、いいですね。

――ますます健康に留意して、お仕事続けていってくださいね。

鈴木さん 更年期もありますが、一番症状が一番きつい時期に父の介護に気を取られていたので、通り過ぎて行ったみたいです。でも、円形脱毛症になっていて、今になって、ストレスが身体に出てきているんですよね。

――若い頃とは違うけど、経験がある分、楽になったこともありますね。でも誰でも何歳になっても、その年齢になるのは初めて。戸惑いもありますけど、そこを楽しめるかどうかかもしれませんねーー。

今日はお忙しいなかありがとうございました。また来ますね。