「ダイバーシティを知ることで、ハッピーになってくれたら」と願う阿部のり子さんに、想いを形にする生き方を訊きました


ダイバーシティこおりやま(任意団体)代表 阿部のり子さん

(取材・まとめ)みついみさ子

阿部のり子さんは、誰もが自分らしく生きることができるよう多様性を認めあう社会を目指して、「ダイバーシティこおりやま」を2017年1月に立ち上げました。
https://diversity-koriyama.jimdo.com/
現在は、メンバー&サポーター合わせて28名の団体となり、3カ月に1度開催している「ダイバーシティナイトin郡山」では、毎回、テーマを決めて講師を招き、30~50名の参加者とともにダイバーシティについて学んでいます。2018年1月には、ダイバーシティ講演会とレインボーフェスタを福島県で初開催しました。

人がそれぞれの幸せを願い、互いに尊重しあえば、社会に起こる様々な問題が解決しやすくなるのではないか。私もそう思う一人です。
自分では気が付かなかった視点や、無意識に感じていた思い込みなどについて考える機会を与えてくれるイベント「ダイバーシティナイトin郡山」に私も何度か参加させていただくようになりました。
いつも温かい言葉で丁寧に参加者に語り掛ける阿部のり子さん。参加者も難しいテーマについて、ワークショップで考え、自分の言葉で意見を話し合う場を作り出してくれています。
どんなきっかけで、ダイバーシティこおりやまを立ち上げたのか、また仕事に向き合ってきたのか、今回、じっくりお話をお聞きする機会を得ることができました。

阿部のり子さん 
ダイバーシティこおりやま(任意団体)代表。
地方公務員・こおりやま女性ネットワーク*hanaの会理事。
1969年郡山市生まれ。夫・長女と3人家族。安積女子高等学校(現在の安積黎明高校)を卒業後、国際法や国際関係論に興味を持ち、新潟大学法学部に入学。在学中に、ラオス支援のための学生NGOでボランティア活動を経験。大学卒業後は、新潟県内の企業に就職し、イベントの企画・運営に従事。母の入院を契機に生まれ故郷の郡山に戻り、1995年4月、郡山市に入庁。
入庁後5年目から郡山市医療介護病院の開院を6年間にわたり担当し、その後、様々な部署で活躍しながら、人権への思いを強くし、次世代の働く女性への支援ができる部署への異動を希望。マイノリティ(少数派)の人権問題、女性の支援などに関心を持つ。

「普通」は「普通を決める」構成比率で変わる

――私(みついみさこ)は「ダイバーシティナイトin郡山」、3回目の二瓶由美子さん(福島銀行社外取締役、元桜の聖母短期大学教授)が講師をされた『女性学のススメ~51%のマイノリティ』から参加させていただくようになりました。前回(2018年5月22日)の福島県立医大の藤野美都子教授の『“平等”の国フランスに学ぶ~パリテ 女性の政治参画~』のお話も良くて。先進国の中では女性の社会進出が遅れていたフランスで「パリテ法(候補者男女同数法)」が導入され、政治に参画する女性の比率が高くなったというお話でしたね。
 「これが普通だ」と思う感覚や価値観は、その場を構成する人の割合で変わってくる のだということが腑に落ちました。女性が活躍しにくい日本で価値観を変えるには、これはもう法律で決めていかなければならない時代なのでしょうね。

阿部のり子さん(以下、のり子さん) 今、ダイバーシティの活動で常に感じているのは、今私たちが感じている「当たり前」は、世界の当たり前じゃないということです。
たとえば、この度、民法が改正され、男女の婚姻年齢が18歳に統一されましたが、それまでは男性18歳、女性16歳とされていました。これを当たり前に思っていた方が多いと思いますが、実は女子差別撤廃委員会から、女性から高等教育の機会を奪う男女不平等な制度であるとして日本が勧告を受けていたものなのです。このように視点を世界に向けてみると、違って見えることが他にもたくさんあるのです。
今日も企業研修でお話をしてきたのですが、世界の幸福度調査のうち、国連が発表している統計的な要素を考慮したランキングでは日本は51位。2017年度調査では、北欧が上位を占めていて、主要先進国のほとんどは20位ぐらいまでに入っています。中国は79位、韓国は55位で、日本は客観的に見るとそれほど幸福の国ではないのですね。
その原因は政治の腐敗や、経済の格差とかの問題がきちんと処理されずに、放置されているからではないかといわれていますが、日本という国は、悪いところに目を向けない傾向があるのではないでしょうか。
森友学園や加計学園の問題も「モリカケ問題」と話題にはしているけど、実際はきちんと質すべきだと思っている人が多くはないとか、国の幹部職員がセクハラを繰り返していたとか、権力者のために公文書を改ざんする……そんな風になってしまってこの国はいいのか?!……そういうことを本気で考え、発言できる人が少ないのは、「どうせ何を言っても変わらない」・・といった諦めかもしれませんが、日本ならではの弱点だと思います。

――前回のダイバーシティナイトの冒頭で、のり子さんは男女格差の例として「プチ起業」という言葉についてお話しされていましたよね。確かに、女性が何かを始めたいと考えるときにプチ起業ならスタートしやすい。私はけっこう、現実的な選択として考えていました。でも、それで経済的に自立するとか、家を支えるとかというのは別なんですよね。

のり子さん プチ起業」は、「あなたは稼がなくていいよ」と言っているようなもの。[/su_highlight]その根底には「夫(男性)が稼ぐ」という考え方があるので、ある意味男女差別の最たるものかなと思っています。だからそれを女性活躍の一つとしてもてはやすのは、考え物なのかもしれません。プチ起業して十分な収入が得られない女性よりは、しっかり会社員として働いている女性のほうが自立はしているでしょう。しかしながら、プチ起業を社会貢献という視点で考えるのであれば、それ自体が経済的に自立できるものでなくてもいいのかもしれませんね。

 

自分でも予想していなかった地方公務員という選択。

――のり子さんは、地方公務員なのですよね。公務員になることは、はじめから決めていたことなのですか。

のり子さん 私は新潟の大学を卒業した後、民間企業に就職しました。当時まだバブルの終わりがけで、社会がまだまだ元気な頃だったこともあり、地元の小さなイベントや出版をやっている企業に就職しました。大手企業だと歯車の一つになってしまいそうで嫌で、なんでも自分でやってみたいという思いから、内定をもらった会社の中で一番小さい会社でしたが一番面白そうだった企業を選びました。大手の製造会社や銀行からも内定をもらっていたので、親には大反対されましたが、最後は私の選択を認めてくれました。
タレントさんといく海外旅行や成人式の日のライヴ、ディナーショーなどのイベントの企画や運営をする仕事で、とても刺激的でやりがいのあるものでした。

――意外でした。人生設計の中で公務員という選択をされた方だと勝手に思っていました。

のり子さん 公務員になろうと思ったことは一度もなかったんです。黒い腕カバーをつけて仕事をしている地味なイメージがあって(笑)。
新潟の民間企業で働いている時にバブル経済に陰りが見えてきて、会社の業績がみるみるうちに落ちてきているのがわかりました。それでも少ない人数で売上をあげるために頑張っていたのですが、過労で倒れてしまったんです。
若かったので、睡眠時間2、3時間で仕事を続けていたんですよ。ある日突然、イベントの最中に倒れて、ドラマのように目が覚めたら点滴を打たれていました。

その頃、たまたま私の母も心臓の発作で入院していて、一人娘だったので看病のために新潟と郡山を往復していたのですが、母の病気は数カ月で完治するというようなものではないとわかったので、会社を辞めて、郡山に戻ることにしました。人生設計の中では、予定外の退職です。
たまたまクライアントだった企業が郡山に進出したばかりで、そこの社長さんから「郡山に戻るならうちで働かないか」と声をかけていただいたのですが、しばらくのんびりしたいと思って、塾の講師をしながら、母の体調が落ち着いてからは、旅行したり、家で油絵を描いたりしていたんです。
そうした頃、母から「このままではいけないから、市役所の採用試験を受けなさい」と言われたのが、地方公務員になるきっかけです。

――最初の企業では濃密に働いて、いろいろな方との信頼関係を築いていたのですね。

のり子さん すごく充実していて、様々な経験をさせていただきました。レイ・チャールズの最後の来日公演で、新潟でのクリスマスイブの興行権を獲得し、コンサート&ディナーショウを大成功させました。それが自分の中での成功体験で、いい思い出です。

――そこから公務員になったのは、お母様のたっての願いで。

のり子さん 実は、郡山に戻って最初の春にエジプト旅行に行く予定で手配していたのですが、バブルが弾けて、郡山でやりたい仕事もなかなか見つからないこともあり、母の勧めるとおり、旅行をキャンセルして4月から臨時職員で働きながら7月まで勉強して市の職員試験を受けてみることにしたのです。それで受けたらたまたま受かりました。面接では志望動機を聞かれて、「これまで利益追求の仕事をしてきたので、そうでない仕事をしてみたい」と良くわからない答えをしてしまい、今思うと恥ずかしいのですが、公務員への夢や希望を持っていたわけではなかったんですよね。

――最初に配属された部署はどちらだったのですか。

のり子さん 新卒採用での配属先は、市民税課という税金を課税する部署でした。一番驚いたのは、なんでも法律に基づいて行われているということでした。
でも、新規採用1年目の冬に結婚して、2年目の冬には出産していたので、何も深く考えないうちに3年間過ぎていきました。4年目に、保健所総務課という部署に異動しました。医療機関の許認可の担当業務です。患者側は病院に不満があっても言えないことが多いので、病院の医療水準を確保し、必要があれば改善指導する部署で、小さな子どもの子育て中だったということもあって、すごくやりがいを感じていましたね。
当時、郡山市亀田にあった国立病院が廃止されることになり、病院の許認可等に関する経験をかわれ、その跡地に新しい病院を作る事業を担当として任されました。郡山の地域にはどんな医療が必要なのか等、6年間にわたって、医師会の先生方とひざ詰めで話し合い、病院を作り上げる業務を担当しました。

私のターニングポイント

――次々とやりがいのある業務に関わることができたのですね。

のり子さん これといった興味がないまま市役所に入りましたが、市役所の仕事は、政策を考えて実現することができ、やってみるとこんなにやりがいがあり、面白いのだと実感しました。平成18(2006)年に無事、病院も開院し、次の異動の時期となりました。それまで全般的に必要な法務を学んだので、今度は財務についてもきちんと学びたいと思い、法務と財務と会計をいっぺんに学べる監査という部署に異動の希望を出しました。監査では、いろいろな市の事務を見るなかで、問題点を洗い出してそれを改善するためのルール改正の助言や指導をしました。監査は、市役所にとって健康診断や治療をするドクターのような存在で、ここでも貴重な経験をしました。
私のターニングポイントは、総務法務課にいたときのことでした。東日本大震災後に震災を受けての原発関連の裁判があり、訴訟事務担当として関わっていたのですが、原告の意見陳述などを聞いているとどうしても原告側に気持ちが寄り添う自分がいたのです。

また、守秘義務があり詳しくは話せないのですが、多様な方の存在やその苦悩を知る機会もありました。そこで、もっと私は人に寄り添ったり、人権に関する仕事がしたいなと思うようになり、その後、男女共同参画課に異動することができました。
そこで法務省主催の人権啓発指導者養成講座を受講し人権問題について学ぶことができ、その幅広さを知りました。その研修では、実際にセクシャルマイノリティー当事者の方が講師とともに登壇され、心無い差別を受けたり、様々な思いを口に出せなくて困っているという現状を知ることができたのです。

――それが、ダイバーシティこおりやまをつくるきっかけになったんですか。

のり子さん 本当は仕事でできればよかったのですけれど、新しいことはなかなか大きな組織ではできないので、自分で活動を始めてみようと思ったのです。
まず、前川直哉さん(一般社団法人ふくしま学びのネットワーク理事・事務局長/東京大学大学院経済学研究科 特任研究員)が共同代表をしている、福島のダイバーシティナイトに勉強に行ってみました。
ああ、こういうやり方があるんだ、郡山でもみんなと考えられたらいいなと思ったんです。
そこで、前川さんに「私、これを郡山でもやりたいです」と言ったら、「ぜひ、やってください」と二つ返事。私はダイバーシティ福島さんが郡山で出前してくれればいいかなくらいに思っていたのですけど、「のり子さんご自身が個人でやるか、自分で団体を立ち上げるかどっちかにしてください。お手伝いはしますから」と言われました。

 

上野千鶴子さんに背中を押されて

――現在まで7回行われていますが、定期的に開催しようと思って始めたのですか?

のり子さん はじめは続けようということではなく、とにかくこういう場を郡山でやってみたいと思って開催しました。阿部のり子個人でやっても、皆さんからは、なんだかわからないと思われるので、「ダイバーシティこおりやま」という団体を立ち上げることにしました。
まず、2017年1月に前川さんを講師に一度開催したのですが、新規の勉強会は10人集まったら成功と言われていたのですが、40人くらいの方に来ていただくことができました。

その多くは友人だったのですが、告知を見て参加してくださった方もいらっしゃって、福島市に負けないほど大いに盛り上がりました。まとめのトークの時に前川さんが「皆さんこういう場って、またあったほうがいいですよね?」とおっしゃって、会場の皆さんも、ワーッと拍手をしてくださったので勢いがついてしまった感じです(笑)。「みんなこう言っていますし、私も協力しますからやってください」って言われて。それから今の活動につながっています。

――継続する計画ではなくて、とにかく、1回だけやってみようと思ったのですね。

のり子さん 私、意外と思いつきで行動を起こすほうなのです。しっかり長期計画を持ってやるというよりは、まずは、アンテナが動くほうに向けてやってみて、うまくいかなければ途中で修正したり、やめたりすればいいと思っているのです。もちろん、1回の開催で、声を出せずにいる人にメッセージが届き、何か変わったらいいなあと思っていたのですが。とはいえ、ずっと続けていくというような覚悟を持っていたわけではありませんでした。

――現在、サポーターは12名になっていますね。

のり子さん はじめはたった一人で活動を始めたのですが、当日運営は一人では難しいと思い、学生時代の友人や関心のある知り合い等に声をかけて4人で第1回を開催しました。今はメンバーも15人ほどになり、かけがえのない仲間を得ました。
実は、団体を立ち上げる時に上野千鶴子先生(社会学者 認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長)にご相談しました。敬愛している方で、以前から著書を読んでおり、私が役員を務めている「こおりやま女性ネットワーク*hanaの会」で上野先生に講演していただいたのがきっかけで、電話やメールのやり取りができるようになっていました。
「私はこういう団体を立ち上げようかと思っているのですが、先生お力添えいただけますか?」とメールをしたら、「やっとその気になりましたね、待っていました。応援しますよ」とすぐに返事をいただけたのです。私としては勇気100倍、上野先生がサポーター第1号になってくださいました。
2,3年前まで本を読んでいて、憧れていた方が、自分の活動を応援してくださるというのは、何とも言えない不思議な感じです――。

――のり子さんが始めることになるために、タイミングがちゃんとあって――。

のり子さん タイミングと勢いというものが多分にあったと思うのですけど、一番初めに上野先生に相談して、「待っていましたよ」って、そんな返事が来ると思わなくて、パソコンを見ながらウルウルしてしまいました。講演会などでは先生はハッキリものをおっしゃるので、厳しいと思う方も多いと思いますが、本当に温かい心の大きな方なのです。

――ダイバーシティナイトin郡山では様々なゲストが来られますが、お知り合いなのですか?

のり子さん 基本的には個人的なつながりから、お願いしています。
私のコンプレックスのひとつでもあるのですが、背が高いので良くも悪くも私は目立つのですよ。大きな組織で働いていると目立ってしまうことで嫌な思いをするほうが多いのですけれど、一方で、一度お会いした方でも覚えててくださるので、「私はこういう活動をしていて、こういうことをやりたい」と話すと、皆さん「いいよ」って言ってくださって、今のところ断られたことがないのです。本当に周りの方に恵まれているのだと思います。
唯一、全く繋がりがない中でラブコールを送ったのが、世田谷区議員の上川あやさんですね。今では、当団体の趣旨に賛同してくださって、サポーターにも就任してくださいました。

 

ダイバーシティナイトIN郡山で自分の引き出しを増やしてほしい

――私たちは政治の問題について、具体的に語らなくても同意してくれそうな人たちとは語りやすいかもしれないけど、違う意見を持っている人に対して話すのはものすごく苦手なのではないかと思います。

のり子さん 就職をするときに「政治と宗教の話はするな」と教えられましたけど、それが日本人の常識ですよね。でも欧米に行くと現政権の話題を普通に会話していますよね。

――日本ではそういった話題はマナー違反になってしまうと教えられていますからね。

のり子さん 海外では「日本人は自分の意見がない」とか「頭を使って考えていない」ととらえられてしまいます。高校1年生の夏休みにカナダのバンクーバーに1カ月半ほどホームステイをしたのですが、ホストファミリーに世界情勢や日本の政治について意見を求められ、何も答えられない自分がいました。言い訳がましく、日本ではそのような話をしないと伝えると、「日本人は、自分の存在を自分で消しているみたいだね、自分の意見や主張を持ってこそ個人でしょう」と言われ、衝撃を受けました。
日本人はディスカッションをしなれていない国民性で、意見が違う場合、相手の意見を否定しなくてもいいけど、同調する必要性もない。そういうトレーニングが少なかったのだと思います。

――違う意見を言った場合、相手の人格の否定をしているようにとらえられてしまう。そういったナイーブさがありますよね。例えば、日本を批判する意見に対して、自分が否定されているような反応をする人たちが、1980年代以前より増えている感じがします。

のり子さん そうですね。社会が不寛容になっているような気がしています。でも本当にそれでみんなが幸せになれるのでしょうか。以前、選挙で国のトップの方が、自分に対して反対意見を述べる人たちを「こんな人たち」と言っているのを報道で取り上げられましたが、象徴的だと思います。
自分の意見を発信することは、異なる意見を否定したり、排除することではないのにも関わらず、認められない社会になっており、戦前の日本を彷彿とさせる思いがしています。

 

「生きてていいと思えるようになった」という電話

のり子さん 先日、地方公務員向けの「ガバナンス」という月刊誌(2018年1月号)の執筆依頼をいただいて、そのときに私自身の公務員生活を振り返って気がついたのですけれど、まだ新規採用職員になって間もないころに、郡山市内で高齢の親子が餓死するという痛ましい事件がありました。お母さんが80歳ぐらいで、娘さんが50歳ぐらいだったのではないでしょうか。そのお二人がご遺体で発見されるまで、生活に困っているとは誰も知らなかったそうです。でも餓死してしまうほど生活が苦しいのに税金の滞納もなく、部屋にはお菓子の袋が一個だけあって、そのお菓子で飢えをしのいでいたのではないかと報道されていました。あの痛ましい事件は、本当に困っている方は、なかなか「困っている」とは言い出せないのだなと思った原体験でした。

この事件を思い出すと今でも涙が出てしまうのですが、市役所の職員というのは、本当はそういう人の力になってあげなくてはいけない仕事なのだと実感したのです。
福島第一原発事故による問題も、人によって放射線による感受性が違うから、具合が悪くなってしまったり、鼻血が出る方もいる。そういう方が参考人として裁判に出廷して話すのですが、それを仮病だとか、考えすぎだと言う方もいる。本人は具合が悪いのに嘘つき呼ばわりされるし、本当に辛いだろうなと思います。そういった方たちが批判されるのを見て、同じ思いをしている方たちは言い出せなくなってしまったり、自主避難することを家族からも非難されてしまう・・・そういった辛い思いを口に出せない人はどれくらいいるのだろう、と思いました。それは、セクシュアリティや障がい、国籍、宗教、様々な問題でも同じ構図だと思います。

ですから、そういう人たちがいる、いていいよね、と話す場をつくりたい。そいうことに焦点を当てる人間がここにいることで気づいてくれる方が増えたらいいなと思っています。
この活動は、ビジネスにはならないことです。もし、ビジネスになることだったら多分誰かがやってくれているはずですから。でも、お金にならないことだから、公務員としてお給料をいただいている私が自分のお小遣いでできる社会貢献ということで活動している意味があると思っています。

――その蒔いた種でそれなりの人数が集まるという場を作り出してから、周りが変わったことを感じることはありますか。

一番感じるのは、ダイバーシティこおりやまに当事者の方からメールをいただくようになったり、当団体の存在が誰かに勇気に繋がっていることです。
以前、男女共同参画課の部署にいたときに、セクシャルマイノリティー当時者の方から電話が入ったのですが、「ダイバーシティこおりやまという団体ができたことで、自分たちが生きてていいと思えるようになった」というお話を聞いたんです。「私、そこの団体の代表なんです」と心の中で叫んでいました!

――仕事中なので声に出しては言えなかったのですね。

のり子さん はい、当時、職場ではこの活動に理解を得られていなかったので、ずっと黙ってお話を聞いていました。webサイトやメールをご案内したのですが、その時、私たちの活動が少しでも力になったという方に出会えただけでも、新たな原動力となりました。あの頃は、「ダイバーシティという言葉は嫌い」とわざわざ私に言う方がいらして、私自身も辛い時期だったので、救われた思いがしました。
それから、活動を通して、「ダイバーシティ」という言葉の認知度が上がってきたということも大きいですね。新聞記事として取り上げていただいたりすると、読んでいてくださっていたり、声をかけてくれる方がいらしたり、社員研修やモーニングセミナーの講師としてお招きいただくなど、周りの反応が変わって来てくれているのは嬉しいなと思います。
活動の幅が広がっている背景としては、医師会長の土屋先生をはじめ、医療界や法曹界、教育関係者や経済界まで錚々たる皆さんにサポーターになっていたたことも大きいです。

――社会情勢もあってダイバーシティという多様性を認めあう考え方が広がってきたことが、企業も一緒に考えやすいのではないかと思いました。お互い尊重できる関係性に可能性を見出せるというか。

のり子さん 今は超少子高齢化社会になっていて、労働人口も減っていきますから、ダイバーシティを取り入れないと日本経済が成り立たなくなると言われています。OECDが2017年発表した日本の時間当たり労働生産性は先進7カ国中で最下位、アメリカの3分の2分以下なんですよ。今までは労働者数や勤勉性で勝負してきたのですが、労働人口が減少し、それができなくなってきている。もともと生産性が低い国ですから国力が低下の一途をたどっていると言えるでしょう。ですから、今の政権はそれを女性活躍などで補おうとしていますけど、日本の女性は昔から箱の中に詰め込まれて生きてきているので、急に箱から出て自由になれって言われても、できる世代とできない世代がいますよね。また、外国人労働者を雇用しようとしても日本にはなじみにくいですから、そこを解決するためにはまずバイアスをなくして、ダイバーシティの考え方に持っていかないと立ち行かなくなるという必然性が大きいのかなと思います。

ただ、地方にいるとそれを実感する機会がまだないかもしれません。でも5年後、10年後には地方も地域社会のなかだけでは成り立たなくなって、ダイバーシティが当たり前になると思っています。さらには、2020年の東京オリンピック、パラリンピックに向けてダイバーシティは重要なキーワードになっていくでしょう。

ハラスメントから自分を守るには

――ダイバーシティナイトin郡山では、昨年『挫折しないキャリアの築き方~ハラスメントとキャリア再起~』というテーマで被害当事者を講師に招いて取り上げていました。

のり子さん 私もハラスメントを経験した一人で、職場に申し立てをした経験があります。「死んだ犬を蹴るものなどいない」と言いますが、他者の成功を認められない方にはその中に不幸やコンプレックスのようなものがあるのだろうなと思っています。

――最近よく使われている言葉に「マウントを取る」という言葉があります。上下関係に敏感で、相手を自分の下に置かないとい落ち着かないという行動ですよね。そうしないと自分の存在が危ういと感じる何かを持っている。本人も自覚していないような、他人への間違った接し方に遭った場合、私たちは何ができるでしょうか。

のり子さん マウントを取りたがる人は自分に自信がないのだと思います。私が取った行動は仕事に関係ないので相手にしないことでした。今思うとそれが失敗だったかなと思います。相手にされないと悔しいからもっと嫌がらせはエスカレートする。何とかやっつけたい、苦しめたいと思わせてしまったわけです。
友人の弁護士に教えてもらったのですがセクハラ、パワハラに出会ったときには必ず不快感を示してください、ということでした。愛想笑いをするとエスカレートしてしまう。
それができないという方は、そういう悪意に出会ったときには、その場から緊急避難する。相手が不思議だなと思うようなタイミングでその場を立ち去る。そうすると相手は「この人は不快感だったんだ」と気づくはずです。そのことが次に相手がハラスメントとして申し立てたときに気づきましたよねと言える証拠づくりにもなります。
今思えば私もその場で気にしていないふりをするのではなくて、傷ついたとか嫌な思いをしたということを表せばよかったのだと思います。

――そういう場に遭遇した時に、不愉快だという感情表現をすると、それは大人のふるまいじゃないというように教えられているので、どうしていいのかわからなくなるんですよね。

のり子さん セクハラ事件はその典型で、そういうものをうまく受け流してこそ、大人の女なんて言われてしまいますよね。ですが、スペインに旅行した際、宿泊先のホテルで遭遇したのですが、お客さんがホテルマンを侮辱するようなことを言ったところ、ホテルマンがすごい形相で抗議していたのです。日本だったら「お客様は神様」と教えられているので「申し訳ございません、ご意見頂戴しました」と収めてしまいますが、海外ではそれは私に対する侮辱だときちんと主張する。

――あたかも、人格がないようにふるまうことがお客様のサービスだと取り違えているところが今までは多かったと思います。

のり子さん 今日講師を務めた企業研修でお話しさせていただいたのは、私たちは一人一人がハッピーに生きる権利があるのだということです。それを守られる権利もある。相手が私のハッピーを奪う権利がないように、私も相手のハッピーを奪う権利がないとお互いに知ること。それができないからハラスメントということが起こるのではないでしょうか。
私の私自身の辛い体験も客観化して制度への問題点として示すことで、誰かの役に立つことができるはずなので、無駄な経験ではなかったと思います。

――ちゃんとご自身で整理して言語化できていることは、無駄な経験ではなかったと思いますよね。いろいろな経験を持っていても封印している方がいる。それを伝えられる場として「ダイバーシティナイトin郡山」のような場所があることで、勇気を持てるのではないでしょうか。

のり子さん 日本人はマイナスの経験は表に出しちゃいけないのではないかという強迫観念が強いのではないかと思っています。でもそれも自分の構成要素じゃないですか。そこを隠そうとすると絶対ひずみが出てしまう。常にハッピー100%であるように演じたら辛いですよ。人間はいいところも悪いところもあって、でも総合点で80点だったら十分幸せではないでしょうか。
例えばFacebookもマイナスな投稿はすべきじゃないとか、「こういうことを言ったらみんなに嫌がられることがあるかもしれないけど」と断りながら投稿している人がいますけど、別に嫌な人は見なければいいわけですし、そんなに人の目ばかり気にして生きなくてもいいのではないかと思います。
同調圧力を軽減しつつ、マイナスな発言であっても批判されない社会の空気が必要で、一番今足りないのは他者や異なる意見への寛容度なのかなと思います。

 

1ミリでも高くなっていけば

――今後は「ダイバーシティこおりやま」ではどんな活動を予定されていますか

のり子さん 視野を世界に広げたいなと思っています。今は「ルワンダの教育を考える」を立ち上げたマリルイーズさんに来ていただいて、講演ができたらいいなと考えています。また、11月17日(土)には、ダイバーシティの視点から考える街づくりのワークショップの開催を予定しています。例えばとある自治体の予算の使い方を切り取ってみて、街づくりのための配分を考えるというのも面白いですよね。
できることを一個ずつ積み重ねて、ダイバーシティが合言葉になって、お互いを認めあえるようになり、息苦しさを感じている人が、自分を肯定できるきっかけづくりになったらいいなと思います。

――仕事では、今後携わってみたいと思うことはありますか。

のり子さん どうしても気持ちがマイノリティや弱者の方に行くのですけれども、現場の最前線だけだと決められたことしかできないので、やはり、困難を抱えている方々の支援をする仕組みづくりの政策に、もう一度、関わることができたらいいなと思っています。

――支援が必要だと感じている人の事情はそれぞれ違っていて、個人の問題だけでは解決できないことがありますよね。

のり子さん 今、とある相談を受ける部署にいるのですが、私自身、まだまだ勉強不足もあるのですが、本当に困っているのにどの制度も案内できない方もいらして、お役に立てずゴメンナサイとお詫びする場面があります。そうした部分は制度として何か見直しが必要なのではないかと思っています。今、こういう問題点があって、こういう必要性があるということを何かの場で伝えていきたいですね。自分ができることをとりあえずやっていくしかないのではないかと思います。大きなことを言っても何かウソっぽいじゃないですか(笑)

――思いはちゃんと形になってきていますよね。

のり子さん ありがとうございます。少しずつですが、形になりつつあると思います。先日、職場の同僚に「のり子さんは、いつも立ち向かっていきますよね。」と言われたのですが、本当は、怠け者の自分も立ち向かえない弱い自分もわかっているのです。そのうえでできるところだけ頑張っているのが現状なのですが、紙一枚の厚さでも積み重ねることで1ミリでも2ミリでも高くなっていくかもしれない、将来の大きな目標はないけれど、ただ、ダイバーシティで関わった人や私が接した人がちょっとだけハッピーになってくれたらいいなという思いです。

――私も今大きな目標があるわけではない。ただ、できるだけ多くの人に出会いたいと思っています。話をさせていただいたり、何かを言葉にして少しでも多くの方に伝えたりすることでしか、自分の存在理由がわからないので。

のり子さん 私は何をしなくても一人一人、その方の存在価値は大きいと思っていて、そのままで、ありのままでいいと、いつも思っています。実は、今回インタビューのお話をいただいてからブログを読ませていただいて、みついさんご自身が、悩みや葛藤をお持ちなのではないかと思ったのですよ。

――同世代の方にお話を伺って知恵を分けていただくというのが、このインタビューのテーマなんです。

のり子さん 葛藤があるということは、自分がこうあるべきという像がおありだからと思うのです。でも、「あるべき姿」像が真の正解とは限らないから、ギャップがある自分のままでもいいじゃないかなとも思うのです。
与えられた仕事でも十分楽しくできたり、それなりのやりがいを見いだせる。どんなときでもその時にできる事をやっていけば、自分の価値基準が見つかると思います。物事へのとらえ方ですよね。
人生いろいろありますが、嫌なことがあっても、「人間万事塞翁が馬」で何が良くて何が悪いのかは、本当に最後の最後まで分からない、私はそういう風にいつも思っています。
ですから、今、辛い思いをしている方がいたら、それが本当に不幸なのかどうかは分からない・・・そんな風に思っていただきたいなと思います。

――本当に今日はありがとうございました。今後の活躍も応援しています――。